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了徳院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
了徳院
所在地 大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目14-1
位置 北緯34度41分55.1秒 東経135度28分58.4秒 / 北緯34.698639度 東経135.482889度 / 34.698639; 135.482889
山号 如意山
宗派 東寺真言宗
本尊 準胝観音十一面観音大聖歓喜天
中興年 元文4年(1739年
中興 宥意
正式名 如意山了徳院
別称 浦江聖天、福島聖天
札所等 摂津国八十八箇所第4番
大阪四不動北方霊場
公式サイト 了徳院
法人番号 5120005001737 ウィキデータを編集
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了徳院(りょうとくいん)は、大阪市福島区にある東寺真言宗寺院山号は如意山。本尊準胝観音十一面観音大聖歓喜天)。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。

芳雪画 うらえ杜若 (浪花百景)

歴史

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洪水のために記録が失われ、創建年は不明。元文元年(1736年)3月、高野山善寿院の宥意上人が入寺して再建を企て、元文4年(1739年)10月に竣功。

その後また衰えていたのを天保5年(1834年)僧某が堂宇を再建する[1]

古来伏見宮祈願所で、本堂に十一面観世音菩薩大聖歓喜天)を安置する。この大聖歓喜天は浦江がまだ海岸だった折、漁師の網にかかって海中から出現したと伝えられる。

子宝、縁結びを願う信仰に支えられ、浦江聖天、福島聖天と呼ばれ親しまれた。当地はいくつかの水路が流れ込み、境内の水辺には杜若が群生し、花の時期には参拝客で溢れた[2]

松尾芭蕉も門弟と訪れ、句を残している。

杜若語るも旅のひとつ哉

1945年昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲によって山門と白髭稲荷大明神を除いて焼失[3]したが、戦後に復興した。

境内

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前後の札所

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摂津国八十八箇所
3 和光寺 - 4 了徳院 - 5 持明院
大阪四不動北方霊場

交通アクセス

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出典

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  1. ^ 井上正雄「大阪府全志」(1922)全国書誌番号:73012615
  2. ^ 大阪学院大学博物館開設準備室『浪速百景 大阪名所案内』大阪学院大学博物館開設準備室、2010年5月12日、69頁。 
  3. ^ 三善貞司「大阪史蹟辞典」(1986)全国書誌番号:86050775

外部リンク

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