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二宮町 (千葉県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にのみやまち
二宮町
二宮村時代の役場の写真
二宮村時代の役場の写真
廃止日 1953年8月1日
廃止理由 編入合併
二宮町船橋市
現在の自治体 船橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
千葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 18.15 km2
総人口 12,844
国勢調査1950年
隣接自治体 船橋市、千葉郡津田沼町幕張町大和田町豊富村
二宮町役場
所在地 千葉県千葉郡二宮町滝台新田
座標 北緯35度42分16秒 東経140度02分02秒 / 北緯35.70458度 東経140.03378度 / 35.70458; 140.03378 (二宮町)座標: 北緯35度42分16秒 東経140度02分02秒 / 北緯35.70458度 東経140.03378度 / 35.70458; 140.03378 (二宮町)
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二宮町域図

二宮町(にのみやまち)は、千葉県千葉郡にかつて存在した町である。現在の船橋市の東部地域にあたる。

概要

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1889年(明治22年)千葉郡滝台新田、薬園台新田、三山村、多喜野井村、前原新田、上飯山満村、下飯山満村の7村が合併して二宮村が成立した。「二宮」の名称の由来は、広い信仰圏を持つ二宮神社(旧称寒川神社)を因み、取ったものである。

なお、七林は二宮町の中にある八栄村飛地であった(三咲)。

役場は滝台新田(現在の二宮出張所)に置かれ、1928年(昭和3年)には、町制を施行して二宮町となった。地域的にも同じ千葉郡の津田沼(現・習志野市)大和田(現・八千代市)に近く、「習志野地名発祥の地」が二宮町域に所在している。戦前には本町と津田沼町幕張町犢橋村大和田町睦村豊富村の7町村を合併させ大習志野市建設構想も持ち上がったが、実現しなかった。

戦後も同じ千葉郡の津田沼町と合併するか西隣ではあるが東葛飾郡にある船橋市への編入かで揉めたものの、結局は1953年(昭和28年)8月1日に船橋市へ編入され事実上消滅した。

沿革

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二宮村(町)成立の合併村

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人物

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歴代村長・町長

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村長・町長
  • 初代 三山安左衛門-明治22年〜明治26年3月(薬園台村)
  • 第2代 近藤多喜司-明治26年3月〜明治28年4月(飯山満村)
  • 第3代 三山安左衛門-明治28年5月〜明治31年11月
  • 第4代 近藤五兵衛-明治31年11月〜明治33年10月
  • 第5代 三山安左衛門-明治33年10月〜明治41年10月
  • 第6代林流之助-明治41年10月〜大正13年11月(滝台村)
  • 第7代 近藤多喜司-大正13年11月〜大正15年4月
  • 第8代 森田榮吉-大正15年5月〜昭和5年5月
  • 第9代 近藤諒司-昭和5年5月〜昭和6年10月
  • 第10代 助役-昭和6年11月〜昭和6年12月
  • 第11代 高橋勝五郎-昭和7年1月〜昭和8年7月
  • 第12代 仲村信蔵-昭和8年8月〜昭和8年9月
  • 第13代 助役-昭和8年10月〜昭和9年10月
  • 第14代 高橋益次郎-昭和9年11月〜昭和10年10月
  • 第15代 助役-昭和10年10月〜昭和12年3月
  • 第16代 林隆則-昭和12年4月〜昭和21年10月
  • 第17代 助役-昭和21年11月〜昭和22年3月
  • 第18代 高橋豊信-昭和22年4月〜昭和26年4月(警察予備隊を誘致した際の町長)
  • 第19代 佐野秋蔵-昭和26年4月〜昭和28年7月

助役

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村会・町会議員

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交通

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鉄道路線

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  • 日本国有鉄道(後のJR東日本) - 1895年開通
  • 陸軍鉄道連隊演習線 - 1945年廃線
    • 津田沼 - 千葉(習志野線)三山9丁目に停車場があった。→陸上自衛隊第101建設隊演習線→廃止
    • 津田沼 - 習志野原・松戸(松戸線)

道路

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町(村)内の主な施設・機関

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町村役場

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宗教施設

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神社

寺院

教育施設

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主な国の施設

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旧二宮町(村)域内にある文化財

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国の登録有形文化財

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船橋市指定文化財

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その他

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関連項目

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  • 習志野 - 「大習志野市構想」について詳説。

外部リンク

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