二条為実
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 文永2年(1265年) |
死没 | 元弘3年7月2日(1333年8月12日) |
官位 | 従二位、参議 |
主君 | 後深草天皇 → 亀山天皇 → 後宇多天皇 → 伏見天皇 → 後伏見天皇 → 後二条天皇 → 花園天皇 → 後醍醐天皇 → 光厳天皇 → 後醍醐天皇 |
氏族 | 藤原北家長家流御子左家 |
父母 | 父:二条為氏、母:藤原重名の娘 |
兄弟 | 為世、為雄、為実、為言 |
妻 | 不詳 |
子 | 為嗣 |
二条 為実(にじょう ためざね)は鎌倉時代後期の公卿。五条と号したことから、五条為実とも呼ばれる[1]。参議、従二位。権大納言二条為氏の四男。母は右京大夫藤原重名の娘。子には従三位参議に至った為嗣がいる。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 文永3年(1266年)1月5日、叙爵。
- 文永6年(1269年)1月5日、従五位上に昇叙。
- 文永8年(1271年)7月2日、正五位下に昇叙。
- 文永11年(1274年)2月20日、左兵衛権佐に任ぜられる。同年11月17日、近江守を兼ねる。
- 建治2年(1276年)1月5日、従四位下に昇叙。左兵衛権佐は止められる。
- 弘安元年(1278年)12月27日、右少将に任ぜられる。
- 弘安4年(1281年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 弘安6年(1283年)10月30日、正四位下に昇叙。
- 正応元年(1288年)5月、左中将に転任。
- 嘉元2年(1304年)10月7日、左中将を辞した。
- 延慶2年(1309年)3月29日、従三位に叙せられる。
- 文保2年(1318年)1月5日、正三位に昇叙。
- 正中2年(1325年)1月29日、侍従に任ぜられる。同年4月2日、参議に任ぜられる。9月9日、参議を辞退。11月22日、本座を許される。
- 嘉暦3年(1328年)3月16日、従二位に昇叙。
- 正慶元年/元弘2年(1332年)8月3日、正二位に昇叙。
- 正慶2年/元弘3年(1333年)5月17日、従二位に戻される[2]。同年7月2日、薨去。享年68。
系譜
[編集]- 父:二条為氏(1222-1286)
- 母:藤原重名の娘
- 妻:不詳
- 男子:二条為嗣