五島市立崎山中学校
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五島市立崎山中学校 | |
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正門(2015年4月撮影) | |
北緯32度39分37秒 東経128度52分47秒 / 北緯32.660194度 東経128.87975度座標: 北緯32度39分37秒 東経128度52分47秒 / 北緯32.660194度 東経128.87975度 | |
過去の名称 |
崎山村立崎山中学校 福江市立崎山中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
校訓 | 自主・友愛・練磨・勤労 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
閉校年月日 | 2024年(令和6年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C142210000552 |
所在地 | 〒853-0021 |
長崎県五島市下崎山町381番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立崎山中学校(ごとうしりつ さきやまちゅうがっこう)は、長崎県五島市下崎山町にあった公立中学校。略称は「崎中」(さきちゅう)。
2024年(令和6年)3月末をもって閉校し、五島市立福江中学校へ統合された。
概要
[編集]- 校訓
- 「自主・友愛・練磨・勤労」
- 校章
- 左右の稲穂の根元をリボンで結んだものを背景にして中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は大濱敏美(初代校長)、作曲は松尾政彦による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1948年(昭和23年)10月 - 父母と教師の会が発足。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 赤島分校が分離し、「崎山村立赤島中学校[2]」として独立。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 合併により福江市が発足したため、「福江村立崎山中学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)3月 - 理科準備室が完成。
- 1960年(昭和35年)4月 - 水道施設を設置。
- 1962年(昭和37年)4月 - 生徒数が最大の415名(14学級)を記録。
- 1963年(昭和38年)3月 - 特別教室が完成。
- 1965年(昭和40年)4月 - 新校舎が完成。
- 1970年(昭和45年)10月 - 運動場を整備(散水設備を設置)。
- 1971年(昭和46年)9月 - 完全給食を開始。
- 1975年(昭和50年)5月 - 体育館が完成。
- 1978年(昭和53年)11月 - 校舎の増改築が完了。
- 1979年(昭和54年)
- 1月 - 旧校舎を解体。
- 3月 - 運動場を拡張。
- 1981年(昭和56年)6月 - 郷土歌人 田口照子の句碑が建立される。
- 1986年(昭和61年)9月 - 国旗掲揚台を設置。
- 1991年(平成3年)8月 - 理科室を改築。
- 1992年(平成4年)1月 - パソコン室を設置。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 五島市の発足により、「五島市立崎山中学校」(現校名)に改称。
- 2024年(令和6年)3月31日 - 五島市立福江中学校への統合により、閉校。
交通
[編集]最寄りのバス停は、五島自動車(五島バス)「崎山中学校前」バス停である。
最寄りの道路は、長崎県道165号大浜福江線である。
周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「福江市史 上巻」(1995年(平成7年)3月31日, 福江市)第3編 教育・文化、第2章 学校教育、第2節 学校の沿革と現況 p. 428
脚注
[編集]- ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
- ^ 1954年(昭和29年)「福江市立赤島中学校」、1967年(昭和42年)「福江市立福江中学校赤島分校」、1973年(昭和48年)閉校。