五島市立平成小学校
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五島市立平成小学校 | |
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本校舎全景(2019年12月6日撮影)。 | |
北緯32度38分21.8秒 東経128度40分59.4秒 / 北緯32.639389度 東経128.683167度 | |
過去の名称 | 玉之浦町立平成小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
玉之浦町立七岳小学校 玉之浦町立東小学校 玉之浦町立大宝小学校 |
設立年月日 | 1990年(平成2年)4月1日 |
閉校年月日 | 2019年(平成31年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒853-0505 |
長崎県五島市玉之浦町中須676番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立平成小学校(ごとうしりつ へいせいしょうがっこう, Goto City Heisei Elementary School)は、長崎県五島市玉之浦町中須にあった公立小学校。略称は「平成小」(へいせいしょう)。
2019年(平成31年)3月末に閉校し、五島市立玉之浦小学校へ統合された[1]。
概要
[編集]- 歴史
- 1990年(平成2年)に、玉之浦町内の小学校3校(七岳・東・大宝)が統合されて「玉之浦町立平成小学校」が開校した。校地と校舎は旧・東小学校のものを使用。2015年(平成27年)に統合25周年を迎える。
- 校章
- 校名の「平」の文字を3つ(統合前の3校を象徴)組み合わせたものを背景にして、中央に「小」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞・作曲ともに川下寅之助による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「平成」が登場する。
- 校区
- 住所表記で五島市玉之浦町の後に「立谷(たちや)、大宝(だいほう)、小川、中須(なかす)、幾久山(いっくやま)、上の平(かみのひら)、布浦(ぬのうら)、荒川、丹奈(たんな)、頓泊(とんとまり)」が続く地区。
- 中学校区は五島市立玉之浦中学校[2]。
沿革
[編集]- 旧・七岳小学校
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- 丹奈小学校
- 1875年(明治8年)5月 -「第五大学区 第五中学校[注釈 1] 丹奈小学校」が開校。民家を借用し校舎とする。初代校長に松園犬太郎が就任。
- 1876年(明治9年)2月 - 丹奈郷47番地の民家に校舎を移転。
- 1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等丹奈分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易丹奈小学校」として独立。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
- 1891年(明治24年)4月 - 丹奈郷字波戸の元1番地に校舎を改築。
- 1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「丹奈尋常小学校」に改称。
- 1900年(明治33年)9月 - 波戸の元に校舎を増築。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1913年(大正2年)3月 - 丹奈大山神社境内を校地として借用。
- 1932年(昭和7年)2月 - 丹奈郷焼野原に新校舎が完成。
- 1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
- 1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
- 荒川小学校
- 1875年(明治8年)5月 - 荒川郷字上の川210番地に「第五大学区 第五中学校 荒川小学校」が開校。初代校長に大山麓が就任。
- 1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等荒川分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易荒川小学校」として独立。玉之浦村472番戸に校舎を改築。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「荒川尋常小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1913年(大正2年)5月 - 校舎敷地として荒子海面を埋め立てる。
- 1914年(大正3年)10月 - 校舎を新築。
- 1922年(大正11年)
- 1月 - 校舎を増築。
- 4月 - 高等科を併置し、「荒川尋常高等小学校」に改称。
- 1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
- 1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
- 統合
- 1934年(昭和9年)3月 - 丹奈尋常小学校と荒川尋常高等小学校の2校が統合され「玉之浦第二尋常高等小学校」となる。
- 丹奈校舎に4学級、荒川校舎に3学級を設置し、複式の授業を継続。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町第二国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)11月 - 従来の丹奈・荒川の2校舎体制を廃止し、統合校舎を荒川郷874番地(現・養護たちばな荘の敷地)に設置。
- 1951年(昭和26年)
- 4月1日 - 「玉之浦町立七岳小学校」(七岳中学校を併設)に改称。
- 7月4日 - 中学校の校舎が完成。
- 1961年(昭和36年)3月15日 - へき地集会所が完成。
- 1967年(昭和42年)5月 - 校旗を制定。
- 1968年(昭和43年)11月3日 - 運動場に老人ホームが着工。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)11月 - へき地集会室・観察池が完成。
- 1973年(昭和48年)3月30日 - 岩石園が完成。
- 1975年(昭和50年)11月13日 - 創立100周年を迎える。
- 1987年(昭和62年)8月30日 - 台風12号の被害を受ける。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 小学校が完全複式(3学級)となる。
- 1990年(平成2年)3月31日 - 統合のため閉校。115年の歴史に幕を下ろす。
- 旧・東小学校
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- 中川小学校
- 1875年(明治8年)11月 - 「第五大学区 第五中学校 中川小学校」が開校。当初民家を仮校舎とする。初代校長に浦勢吉が就任。
- 1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等中川分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易中川小学校」として独立。玉之浦村472番戸に校舎を改築。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「中須尋常小学校」に改称。小川郷に分教場を設置。
- 1901年(明治34年)3月 - 中須尋常小学校と小川分教場を統合し、「中川尋常小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1910年(明治43年)- 義務教育年限の延長により児童が増加したため、校舎を増築。
- 1911年(明治44年)7月 - 実業補習学校を併設。
- 1919年(大正8年)3月 - 校地を拡張し、校舎を新築。
- 1926年(大正15年)3月 - 高等科を併置し、「中川尋常高等小学校」に改称。当時の児童数は尋常科132名・高等科26名
- 1932年(昭和7年)1月 - 校地を拡張し、2教室を新築。
- 1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
- 1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
- 幾久山小学校
- 1878年(明治11年)8月 - 幾久山下里に「幾久山小学校」が開校。初代校長に木戸守之が就任。
- 1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等幾久山分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易幾久山小学校」として独立。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「幾久山尋常小学校」に改称。
- 1901年(明治34年)5月 - 幾久山上里に校舎を改築。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1911年(明治44年)7月 - 実業補習学校を併設。
- 1929年(昭和4年)4月 - 高等科を併置し、「幾久山尋常高等小学校」に改称。
- 1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
- 1934年(昭和9年)3月 - 統合のため閉校。
- 統合
- 1934年(昭和9年)3月 - 中川尋常高等小学校と幾久山尋常高等小学校の2校が統合され「玉之浦第三尋常高等小学校」となる。
- 8学級編成とし、当時の児童数は尋常科277名、高等科62名。
- 実業補習学校も統合され、青年訓練認定玉之浦第三実業補習学校となる。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が「玉之浦第三青年学校」に改称。
- 1937年(昭和12年)
- 5月 - 旧校舎を解体。
- 9月 - 新校舎で授業を開始。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町第三国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧・玉之浦町第三国民学校の初等科が改組され、「玉之浦町立玉之浦第三小学校」となる。
- 旧・玉之浦町第三国民学校の高等科が改組され、玉之浦町立玉之浦第三中学校(新制中学校)となり、小学校に併設される。
- 1951年(昭和26年)
- 4月1日 - 「玉之浦町立東小学校」(東中学校を併設)に改称。
- 12月 - 中学校2教室が完成。
- 1952年(昭和27年)- 運動場を拡張。
- 1975年(昭和50年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念碑中央部にタイムカプセルを埋め、50年後に開くこととする。
- 1981年(昭和56年)
- 4月 - 2・3年の複式学級を設置。
- 10月29日 - 小学校5教室と付属施設を焼失。
- 1990年(平成2年)3月31日 - 統合のため閉校。115年の歴史に幕を下ろす。校地と校舎は新設の平成小学校に継承される。
- 旧・大宝小学校
- 1875年(明治8年)5月28日 - 「第五大学区 第五中学区 大宝小学校」が開校。
- 当時校舎はなく、大宝寺殿広間を使用。後に大宝郷字前田(現・大宝簡易郵便局)に移転。初代校長に久保泰蔵が就任。
- 1882年(明治15年)2月 - 統合により、「公立中等玉之浦小学校 下等大宝分校」となる。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、玉之浦小学校から分離し、「簡易大宝小学校」として独立。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、玉之浦村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 尋常科を設置し、「大宝尋常小学校」に改称。
- 1897年(明治30年)8月 - 校舎を改築。
- 1908年(明治41年)4月 - 大宝郷堤に校舎が完成し、移転を完了。小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の年限)が4年から6年に延長され、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1924年(大正13年)4月 - 複式3学級編成とする。
- 1926年(大正15年)2月11日 - 新校舎1棟が完成。運動場を拡張。
- 1928年(昭和3年)4月 - 高等科を併置し、「大宝尋常高等小学校」に改称。
- 1933年(昭和8年)11月3日 - 玉之浦村の町制施行により、玉之浦町立の小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「玉之浦町大宝国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、初等科6年・高等科2年とする。
- 1942年(昭和17年)4月 - 複式を解消し、単式8学級編成とする。
- 1943年(昭和18年)1月 - 4教室を増築。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧・玉之浦町大宝国民学校の初等科が改組され、「玉之浦町立大宝小学校」となる。
- 旧・玉之浦町大宝国民学校の高等科が改組され、玉之浦町立大宝中学校(新制中学校)となり、小学校に併設される。
- 教室不足のため、中学1年は神社、中学2年は公民館を借用して授業を行う。
- 1952年(昭和27年)6月 - 中学校2教室が完成したため、神社と公民館の仮校舎使用を終了。
- 1963年(昭和38年)7月27日 - ミルク給食を開始。
- 1965年(昭和40年)3月 - へき地集会所が完成。
- 1967年(昭和42年)4月 - 小学校校舎が完成。
- 1975年(昭和50年)5月28日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1986年(昭和61年)6月17日 - 校旗を制定。
- 1990年(平成2年)3月31日 - 統合のため閉校。115年の歴史に幕を下ろす。
- 統合・平成小学校
- 1990年(平成2年)4月1日 - 上記3校が統合され、旧・東小学校の校地に「玉之浦町立平成小学校」が開校。初代校長に岩永和夫が就任。
- 1991年(平成3年)3月14日 - 校歌を制定。
- 1992年(平成4年)8月 - スクールバスの運行を開始。
- 1993年(平成5年)
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併により「五島市立平成小学校」(現校名)に改称。
- 2019年(平成31年)
- 3月22日 - 午前、最後の学校行事となる修了式挙行[3]。
- 3月31日 - 五島市立玉之浦小学校への統合により、閉校[1]。
- なお、統合後の校舎は五島市立玉之浦中学校(旧・五島市立平成中学校校舎)に併設。平成の初めに開校した本校は、平成の終わりにその幕を下ろした。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)「平成小学校前」バス停 (現在は「ほたるの里」バス停)
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 五島市立玉之浦中学校(旧・五島市立平成中学校)
- 五島市立中川へき地保育所
- 中須簡易郵便局
- 五島警察署 中須警察官駐在所
参考資料
[編集]- 「玉之浦町郷土誌」(1995年(平成7年)3月31日, 玉之浦町)p. 387 -
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “平成30年2月教育委員会定例会” (pdf). 五島市ウェブサイト. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。[リンク切れ]
- ^ “就学指定学校及び区域外通学について”. 五島市ウェブサイト. 2019年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ さようなら離島の「平成小学校」 平成とともに幕 - 朝日新聞DIGITAL(2019年3月23日11時22分配信)