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五島盛光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五島盛光
ごとう もりみつ
生年月日 1873年7月23日
没年月日 (1923-05-30) 1923年5月30日(49歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治学科卒業
所属政党 研究会
称号 従三位
親族 甥・溝口直亮(貴族院議員)
甥・前田利男(貴族院議員)
姪婿・大倉喜七郎(貴族院議員)

在任期間 1921年5月14日 - 1923年5月30日
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五島 盛光(ごとう もりみつ、1873年明治6年〉7月23日[1] - 1923年大正12年〉5月30日[1][2][3][4])は、明治時代から大正時代の華族子爵)。五島家第33代当主。位階従三位[2]。旧名は溝口歓十郎[1]

生涯

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越後国新発田藩主・溝口直溥の十六男として生まれる。1893年(明治26年)旧福江藩主五島家当主の五島盛主が嗣子無くして卒去したため、翌1894年(明治27年)に養嗣子として五島家を継いだ。同年1月25日、盛光と改名した[5]1902年(明治35年)、自ら巨費を投じて旧制五島中学校を創設した。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2]1921年(大正10年)5月14日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6]、死去するまで在任した[2][7]。会派は研究会に所属した[3]。1923年5月30日、胃潰瘍のため死去[4]有栖川宮家より弔問の特使を賜り、院議を以て徳川家達(貴族院議長・公爵)から弔辞を贈られる。

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 上巻』601頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』43頁。
  3. ^ a b 研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 60コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 斯民 18(7) 41コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『官報』第3172号、明治27年1月27日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  8. ^ 『官報』第6608号「叙任及辞令」1905年7月11日。

参考文献

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  • 大坪譲『五島通史』五嶋襍載刊行會、1917年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 中島功『五島編年史 下巻』国書刊行会、1973年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
五島盛主
子爵
福江五島家第2代
1894年 - 1923年
次代
五島盛輝