五戸町立五戸小学校
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五戸町立五戸小学校 | |
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北緯40度31分34.1秒 東経141度18分11.3秒 / 北緯40.526139度 東経141.303139度座標: 北緯40度31分34.1秒 東経141度18分11.3秒 / 北緯40.526139度 東経141.303139度 | |
過去の名称 |
第七大学区第一七中学区二番小学 五戸小学 五戸尋常小学校 五戸尋常高等小学校 五戸国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五戸町 |
併合学校 |
越掛沢簡易小学校 |
設立年月日 | 1873年7月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210002444 |
所在地 | 〒039-1519 |
青森県三戸郡五戸町字天満後22番1号 | |
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五戸町立五戸小学校(ごのへちょうりつ ごのへしょうがっこう)は、青森県三戸郡五戸町字天満後にある公立小学校。
沿革
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- 1873年(明治6年)7月31日 - 五戸村の寺院を借用し、第七大学区第一七中学区二番小学として発足。
- 1874年(明治7年) - 五戸小学と改称。
- 1876年(明治9年) - 旧代官所の茅屋に移転。
- 1881年(明治14年) - 越掛沢分教場設置。
- 1886年(明治19年) - 五戸尋常小学校と改称。同年、越掛沢分校が昇格独立し、越掛沢簡易小学校となる。
- 1892年(明治25年) - 高等小学校を併置し、五戸尋常高等小学校と改称。同年、越掛沢簡易小学校を併合、越掛沢分校設置。
- 1894年(明治27年)4月5日 - 新校舎落成移転。
- 1897年(明治30年)4月 - 越掛沢分教場は、蛯川尋常小学校に併合。
- 1904年(明治37年)12月5日 - 下沢向に校舎1棟新築し、高等小学校移転。
- 1908年(明治41年)4月15日 - 館に五戸女子尋常高等小学校設置し、女子を分量。男子も、尋常3学年まで、女子校に委託。
- 1910年(明治43年)6月11日 - 女子校へ委託の児童を収容。
- 1919年(大正8年)6月 - 女子補習学校併設。
- 1922年(大正11年)
- 4月 - 五戸女子尋常高等小学校と蛯川尋常小学校を併合、蛯川分教場設置。
- 7月3日 - 五戸女子実業補習学校が、五戸裁縫女学校と改称。
- 1925年(大正14年)12月23日 - 天満宮に新校舎落成。
- 1927年(昭和2年)12月23日 - 校章制定。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 蛯川分教場が昇格独立し、蛯川尋常小学校となる。同日、五戸裁縫女学校が、五戸町立実業公民学校と改称。
- 1935年(昭和10年)9月7日 - 五戸町立実業公民学校が、公立青年学校五戸実業公民学校と改称。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 公立青年学校五戸実業公民学校が、公立青年学校五戸女子実業公民学校と改称。
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 公立青年学校五戸女子実業公民学校が、五戸実科高等女学校と改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 五戸実科高等女学校が、五戸高等女学院と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制施行)により、五戸町立五戸小学校と改称。同日、五戸中学校を併置し、高等科生を中学校に移籍。五戸高等女学校を分離移転。
- 1950年(昭和25年)5月7日 - 五戸中学校独立校舎が落成し、移転。
- 1957年(昭和32年)3月 - 新校歌制定。
- 2013年(平成25年) - 現校舎完成[2]。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 蛯川小学校と豊間内小学校、南小学校を統合。
学区
[編集]周辺
[編集]- 青森県道113号五戸六戸線
- 三戸郡地域生活支援センター
- 五戸川
- 田嶋歯科
- ホームセンターかんぶん五戸店
- 社会福祉法人抱茗会めぐみ保育園 - 進学前保育園のひとつ
- 五戸郵便局
アクセス
[編集]- 南部バス・五戸町コミュニティバス「下大町」バス停下車後、徒歩約175m・約数分。
脚注
[編集]- ^ 大正11年に併合、昭和3年に分離、平成26年に再併合
- ^ 五戸町議会第14回定例会会議録 (PDF) - 五戸町・2017年6月13日リリース(23頁に該当の記載がある)
参考資料
[編集]- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」848頁「五戸小学校」(1957年の記載分まで)