五条寛子
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五条 寛子(ごじょう ひろこ、1718年4月19日(享保3年3月19日) - ?)は、中御門天皇の掌侍。父は権大納言の五条為範[1]。菅原寛子とも呼ばれる。おまち御料人、別当典侍と称した。幼名は幸子。
権大納言の五条為範の子として生まれる。1734年(享保19年)に中御門天皇の後宮に入り、おまち御料人、別当典侍と称した[2]。
1736年(享保21年)には遵仁法親王を生み、翌年の1737年(元文2年)に出家[2]。没年はわかっていない[2]。
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