五条経子
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五条 経子(ごじょう つねこ、1674年1月17日(延宝元年12月11日) - ?)は、霊元天皇の後宮。父は権大納言の五条為庸[1]。姉は霊元天皇の掌侍の五条庸子。おひさ御料人、菅中納言局と称す。菅原経子とも呼ばれる。
1683年(天和3年)に霊元天皇に仕え、おひさ御料人と称し、後に菅中納言局と改称[2]。2皇子(常磐井宮・性応法親王)と2皇女(文喜女王・元秀女王)を儲ける。没年は不明[2]。
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