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五辻安仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
五辻 安仲
五辻安仲
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 弘化2年1月13日1845年2月19日
死没 明治39年(1906年2月9日[1]
主君 明治天皇
氏族 五辻家
父母 父:五辻高仲、養父:五辻継仲
兄弟 安仲、孝子、長仲西五辻文仲
治仲京極高致滋野井実寿
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五辻 安仲(いつつじ やすなか)は、日本公家官僚華族子爵五辻家31代当主。

経歴

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山城国京都左兵衛佐五辻高仲の息子として生まれ、父の養子・五辻継仲の養子となる[1]安政5年10月28日1858年12月3日)に元服し昇殿を許された[2]元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では長州藩士のため画策し、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた[3]慶応3年1月1867年)赦免となる[3]

同年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、三職書記御用掛となる[4]。慶応4年2月20日1868年3月13日)、参与内国事務局判事加勢に任じられた[4]。その後、内国事務局権判事、弁事、権弁事、弾正大弼、弁官事、少弁、神楽長、式部助などを歴任。少納言、侍従を歴任[3][4][5]明治4年11月12日1871年12月23日)岩倉使節団岩倉具視に随行して欧米に渡り、明治5年12月1859年1月)に帰国した[3]1873年(明治6年)4月14日、父・高仲の隠居に伴い家督を継承した[1]

その後、式部寮理事官心得、華族第三部長、宮内省御用掛、華族局勤務、兼式部寮御用掛、華族局主事、爵位局次官、大膳大夫などを務めた[5]

1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[6]

栄典

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系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、157-158頁。
  2. ^ 『五辻家譜』
  3. ^ a b c d 『明治維新人名辞典』95頁。
  4. ^ a b c 『百官履歴 上巻』374-375頁。
  5. ^ a b 『人事興信録』初版、69頁。
  6. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  7. ^ 『官報』第1027号「叙任」1886年12月1日。
  8. ^ 『官報』第1650号「授爵叙任及辞令」1888年12月27日。
  9. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  10. ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。

参考文献

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  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
  • 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録』初版、1903年。
  • 内閣「宮内省華族局主事五辻安仲叙勲ノ件」明治19年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任A00115100
  • 『五辻家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
公職
先代
児玉愛二郎
日本の旗 大膳大夫
1889年 - 1893年
次代
香川敬三
先代
(新設)
日本の旗 雅楽長
1870年 - 1871年
次代
(廃止→)岩倉具綱
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
五辻家初代
1884年 - 1906年
次代
五辻治仲