五辻安仲
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五辻安仲 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 弘化2年1月13日(1845年2月19日) |
死没 | 明治39年(1906年)2月9日[1] |
主君 | 明治天皇 |
氏族 | 五辻家 |
父母 | 父:五辻高仲、養父:五辻継仲 |
兄弟 | 安仲、孝子、長仲、西五辻文仲 |
子 | 治仲、京極高致、滋野井実寿 |
五辻 安仲(いつつじ やすなか)は、日本の公家、官僚・華族。子爵。五辻家31代当主。
経歴
[編集]山城国京都で左兵衛佐・五辻高仲の息子として生まれ、父の養子・五辻継仲の養子となる[1]。安政5年10月28日(1858年12月3日)に元服し昇殿を許された[2]。元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では長州藩士のため画策し、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた[3]。慶応3年1月(1867年)赦免となる[3]。
同年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、三職書記御用掛となる[4]。慶応4年2月20日(1868年3月13日)、参与・内国事務局判事加勢に任じられた[4]。その後、内国事務局権判事、弁事、権弁事、弾正大弼、弁官事、少弁、神楽長、式部助などを歴任。少納言、侍従を歴任[3][4][5]。明治4年11月12日(1871年12月23日)岩倉使節団の岩倉具視に随行して欧米に渡り、明治5年12月(1859年1月)に帰国した[3]。1873年(明治6年)4月14日、父・高仲の隠居に伴い家督を継承した[1]。
その後、式部寮理事官心得、華族第三部長、宮内省御用掛、華族局勤務、兼式部寮御用掛、華族局主事、爵位局次官、大膳大夫などを務めた[5]。
栄典
[編集]- 1886年(明治19年)11月30日 - 勲五等双光旭日章[7]
- 1888年(明治21年)12月26日 - 勲四等瑞宝章[8]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[9]
- 1890年(明治23年)12月26日 - 勲三等瑞宝章[10]
系譜
[編集]- 父:五辻高仲
- 養父:五辻継仲
- 長男:五辻治仲(貴族院子爵議員)[1]
- 二男:京極高致(京極高富養子)[1]
- 三男:滋野井実寿(滋野井公寿養子)[1]
- 弟:五辻長仲(東寺真性院大僧都)・西五辻文仲(男爵)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録』初版、1903年。
- 内閣「宮内省華族局主事五辻安仲叙勲ノ件」明治19年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任A00115100
- 『五辻家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
公職 | ||
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先代 児玉愛二郎 |
大膳大夫 1889年 - 1893年 |
次代 香川敬三 |
先代 (新設) |
雅楽長 1870年 - 1871年 |
次代 (廃止→)岩倉具綱 |
日本の爵位 | ||
先代 叙爵 |
子爵 五辻家初代 1884年 - 1906年 |
次代 五辻治仲 |