井上就貞 (八兵衛)
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永14年(1637年) |
死没 | 寛文8年9月22日(1668年10月27日) |
改名 | 井上長吉(幼名)→井上就貞 |
別名 | 通称:八兵衛尉 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 清和源氏頼季流安芸井上氏 |
父母 | 父:井上就勝 |
子 | 道経 |
井上 就貞(いのうえ なりさだ)は、江戸時代前期の毛利家の家臣・長州藩士。父は井上就勝。知行は200石。
生涯
[編集]寛永14年(1637年)、長州藩士・井上就勝の子として生まれ、毛利秀就と綱広の2代に仕える。
正保4年(1647年)に秀就から「八兵衛尉」の官途名と「就」の偏諱を与えられ、諱を就貞とした。
寛文8年(1668年)9月22日に死去した。享年32。子の道経が跡を継いだ。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻106「井上八兵衛」