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井上平太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いのうえ へいた

井上 平太
生誕 1848年
嘉永元年9月17日
熊本藩
死没 1933年2月昭和8年)
国籍 日本の旗 日本
職業 熊本藩藩士
熊本県警察部警部
剣術家
流派 雲弘流剣術
伯耆流居合術日置流道雪派弓術細川流(武田流)騎射函三流砲術
肩書き 大日本武徳会剣道教士居合術範士弓道範士
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井上 平太(いのうえ へいた、1848年嘉永元年〉9月17日 - 1933年昭和8年〉2月)は、熊本藩藩士武術家流派雲弘流剣術伯耆流居合術日置流道雪派弓術細川流(武田流)騎射称号大日本武徳会剣道教士居合術範士弓道範士。熊本県警部

生涯

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生い立ち

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高橋郡奉行(350)の子として、熊本城下の上林町に生まれる。藩校時習館学問武芸を学ぶ。武芸は雲弘流剣術伯耆流居合術日置流道雪派弓術大坪流馬術武田流騎射函三流砲術を修行。

戊辰戦争

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1864年元治元年)、長州征討野砲隊隊長の父とともに野砲隊副隊長として出征。1868年慶応4年)、藩主細川護久に従い上洛。戊辰戦争鳥羽・伏見の戦い勃発に伴い、京都御所警備に出動し、新選組の隊員数人を斬り倒した。その後、家老米田虎之助(元家老・長岡是容次男)が率いる熊本藩兵の一員として東北戦争に転戦。

警察勤務

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廃藩置県後、熊本県飽託郡池上村谷隠に移住し、熊本県警察部巡査に任官。1885年明治18年)には陸軍少将乃木希典と親交を結ぶ。1902年(明治35年)11月、明治天皇臨席の陸軍特別大演習が肥後の平野で行われ、平太は天皇の御先乗りを務めた。乃木から馬上杯を贈られ、平太は乃木に村正を贈った。警察には30年間勤務し、警部まで昇任した。違反者はすべて説諭だけで放免し、決して逮捕しない警察官として市民から奇妙な人気があった。

大日本武徳会

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1899年(明治32年)5月、大日本武徳会の武徳祭に馬術演武の指導に招かれたという。1921年大正10年)5月、武徳祭大演武会剣道高齢者の部に73歳で出場し、神道無念流坂部小郎63歳と対戦する。このとき防具を身に着けず試合に臨み、周囲を驚かせた。素面素小手で試合に出場した心境はついに語らなかったという。1922年(大正11年)、禅僧澤木興道の大徹堂で坐禅を修行した。

称号

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脚注

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  1. ^ 『日本武術名家伝』
  2. ^ a b c 『大正武道家名鑑』
  3. ^ a b 『武道範士教士錬士名鑑. 昭和12年』

参考文献

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