コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

井上登 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 登
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県宝飯郡三谷町(現:蒲郡市
生年月日 (1934-05-26) 1934年5月26日
没年月日 (2012-05-05) 2012年5月5日(77歳没)
身長
体重
173 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
初出場 1953年
最終出場 1967年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (1970 - 1980)

井上 登(いのうえ のぼる、1934年5月26日 - 2012年5月5日)は、愛知県宝飯郡三谷町(現・蒲郡市)出身のプロ野球選手内野手外野手)・コーチ監督解説者

経歴

[編集]

岡崎高校では1952年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、時習館高に敗退。高校の1年上に石川克彦小沢重光がおり、いずれも名古屋ドラゴンズに入団している。

1953年名古屋ドラゴンズへ入団[1]。俊足巧打の内野手と期待され、同年10月には二塁手として5試合に先発出場。球団名が「中日ドラゴンズ」になった1954年は、開幕からレギュラーとして起用され同年のリーグ優勝に貢献。初の規定打席(19位、打率.270)にも達する。同年の西鉄との日本シリーズでは5試合に先発。シュート打ちの名手であり、最終第7戦では河村英文のシュートをとらえる決勝適時三塁打を放つ。1955年から1958年に4年連続でベストナインに選出されたほか、オールスターゲームにも5度出場(1955年 - 1958年, 1960年)。1957年は開幕から五番打者を任され、四番打者としても37試合に起用される。1958年には打率.280(6位)、18本塁打の好成績を残した。1961年にはシーズン中盤から高木守道に定位置を譲り一塁手に回るが、自己最高の打率.293(4位)を記録した。

1962年半田春夫寺田陽介長谷川繁雄との1対3の交換トレードで、南海ホークスへ移籍。同年は左翼手として74試合に先発、三番打者としても9試合に起用された。その後も中心打者として活躍、1965年巨人との日本シリーズ第3戦では逆転となる適時二塁打を放つが、この頃から出場機会が減少。1967年には中日に復帰するが、同年限りで現役を引退。

引退後は中日で二軍内野コーチ(1970年)→二軍打撃コーチ(1971年, 1977年)・一軍打撃コーチ(1972年 - 1976年, 1979年 - 1980年)・二軍監督兼打撃コーチ(1978年)を務め、1974年のリーグ優勝に貢献。退団後はCBC解説者(1981年 - 1995年)を務めた[1]

2012年5月5日脳出血のため名古屋市の病院で死去[2]。77歳没。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1953 名古屋
中日
9 20 20 2 3 0 0 0 3 2 0 0 0 -- 0 -- 0 2 1 .150 .150 .150 .300
1954 129 493 444 49 120 12 3 0 138 34 22 6 18 1 29 -- 1 34 6 .270 .316 .311 .627
1955 125 486 440 50 125 25 3 4 168 42 13 10 13 3 28 1 2 53 3 .284 .328 .382 .710
1956 121 444 410 36 111 22 3 9 166 48 9 11 7 2 25 1 0 46 11 .271 .311 .405 .716
1957 130 535 478 60 119 19 3 17 195 61 16 10 11 4 36 5 6 41 7 .249 .307 .408 .715
1958 126 532 489 63 137 25 5 18 226 54 26 7 6 5 32 7 0 44 9 .280 .321 .462 .783
1959 113 464 418 49 95 13 0 8 132 40 16 4 7 2 35 1 2 47 12 .227 .289 .316 .605
1960 130 527 474 64 122 27 6 15 206 64 16 1 2 5 42 0 4 56 13 .257 .320 .435 .755
1961 126 518 460 50 135 25 4 4 180 58 10 8 6 5 41 4 6 34 7 .293 .355 .391 .747
1962 南海 125 483 447 50 129 20 7 6 181 60 18 7 7 5 20 1 4 47 12 .289 .321 .405 .726
1963 132 399 369 37 95 14 2 14 155 39 3 5 8 0 19 0 3 52 9 .257 .299 .420 .719
1964 100 282 250 23 67 9 0 8 100 35 2 3 2 3 26 1 1 17 4 .268 .336 .400 .736
1965 72 192 179 24 49 9 0 8 82 30 0 1 1 0 9 1 3 20 3 .274 .319 .458 .777
1966 54 95 88 5 12 2 0 0 14 2 0 0 0 1 6 1 0 15 3 .136 .189 .159 .349
1967 中日 14 14 14 0 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .214 .214 .286 .500
通算:15年 1506 5484 4980 562 1322 223 36 111 1950 570 151 73 88 36 348 23 32 511 101 .265 .315 .392 .707
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 名古屋(名古屋ドラゴンズ)は、1954年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更

表彰

[編集]

記録

[編集]
節目の記録
  • 1000試合出場:1961年10月1日 ※史上67人目
その他の記録

背番号

[編集]
  • 51 (1953年 - 1961年、1967年)
  • 41 (1962年 - 1964年)
  • 1 (1965年 - 1966年)
  • 64 (1970年)
  • 67 (1971年 - 1977年、1979年 - 1980年)
  • 77 (1978年)

関連情報

[編集]

出演

[編集]

※いずれも、解説者として出演していたプロ野球中継の現行タイトル。

脚注

[編集]
  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、61ページ
  2. ^ 井上登氏死去(元プロ野球中日、南海選手) 時事ドットコム 2012年5月11日閲覧

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]