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井上義衍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上義衍
明治27年(1894年)7月27日 - 昭和56年(1981年)3月2日
井上義衍
玄魯
生地 広島県瀬戸田町
宗旨 曹洞宗
寺院 半田山龍泉寺
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井上 義衍(いのうえ ぎえん、明治27年(1894年7月27日 - 昭和56年(1981年)3月2日)は、日本曹洞宗僧侶浜松市龍泉寺住職曹洞宗師家会会長)。号は玄魯。

略歴

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明治27年(1894年)7月27日、広島県豊田郡瀬戸田町(現、尾道市長光寺に次男として生まれる。明治40年(1907年)に町内向上寺にて得度し、国泰寺僧堂に入る。大正4年(1915年)に東京青松寺に移り、7年に名古屋日泰寺に移る。

北野元峰杉本道山原田祖岳飯田トウ隠に師事、日泰寺で参禅中、市街地に出かけて観劇の最中に悟りを開く。大悟。大正13年(1924年)に浜松龍泉寺住職となる。

さらに、講師を務めるの縁で、飯田欓隠に参禅、師の鉄槌を受ける。後年、ホオジロの声を聞いて、身心脱落、仏道修行に真に決着がつく。

大正14年(1925年)から国泰寺僧堂、可睡斎僧堂、日泰寺僧堂、富山尼僧堂師家として指導にあたる。曹洞宗師家会会長も務める。

浜松龍泉寺には、雲衲、在家の修行者が雲集し、修行に打ち込む者多数、専門僧堂にあらずといえども、大叢林の観を呈す。

原田祖岳老師、梶田慧舟老師(宇治興聖寺の回天慧杲和尚の印可)、飯田欓隠老師より印可証明を受ける。

昭和45年(1970年)8月、ニューヨーク禅センターで坐禅の指導者として招かれる。[1]

昭和46年(1971年)11月には再びアメリカへ、同53年10月にはフランスに赴く。[1]

昭和56年(1981年)3月2日に遷化。[1]

著作リスト

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  • 『禅 - もう迷うことはない! - あなたの疑問を即快答』(光雲社、1999年)
龍泉寺参禅道場刊行
義衍提唱録刊行会刊行
  • 『法華讃提唱』
  • 信心銘提唱』
  • 無門関提唱』上・中・下
  • 『禅話プロローグ』
  • 『正法眼蔵・辨道話提唱』

記事・論文

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出演録

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TV

弟子

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井上哲玄井上義寛、福田素円、長谷川文丈、井上貫道、水野欣三郎、菅沼魯道、板橋興宗、原田雪渓青野敬宗川上雪担、山王タキノ、長井自然など

参考文献

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  • 『井上義衍老師語録』(龍泉寺参禅道場、2014年)

脚注

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  1. ^ a b c 国際交流の試み 浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ