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井口任子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井口 任子 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Takako INOGUCHI[1]
Takako INOKUCHI[2]
国籍 日本の旗 日本
競技 短距離走
所属 リッカーミシン
生年月日 (1942-02-04) 1942年2月4日(82歳)
自己ベスト
100m 11秒8(1963年)[1][3]
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井口 任子(いのぐち[4]/いのくち[5] たかこ、1942年2月4日[3] - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1964年東京オリンピックで女子400メートルリレー走に出場した[3]

結婚後の姓は松尾 任子[4]。娘の松尾知美もバドミントンで2度のオリンピックに出場している[4]

経歴

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熊本県出身[6]。熊本市立高等学校(現在の熊本市立必由館高等学校)卒業後[7]リッカーミシン[注釈 1]に所属[7][6]

1962年アジア競技大会(ジャカルタ)では女子100m走で銅メダル、400mリレー(山崎晴子・井口任子・島田紀代子依田郁子)で銀メダル[2]

1964年東京オリンピックでは、女子400メートルリレー走(井口任子・江副令子宮本悦子依田郁子)に出場してアンカーを務めたが、予選通過はならなかった。

脚注

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注釈

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  1. ^ この時代の紡績関連企業は多くのアスリートの生活を支えており[8]、東京オリンピックでは井口を含め12人が出場している[9]。女子陸上競技では依田郁子佐藤弘子小保内聖子横山弘子が同社所属であった。

出典

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  1. ^ a b Takako Inoguchi”. International Olympic Committee. 2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b c Japanese Delegation of Athletics Team”. 日本陸上競技連盟. p. 39 (2018年). 2021年5月1日閲覧。
  3. ^ a b c Takao Inoguchi Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
  4. ^ a b c (五輪をめぐる)64年のレガシー:3 娘も五輪、「一人では強くなれない」」『朝日新聞』2019年3月28日。2021年4月26日閲覧。
  5. ^ 樹原涼子. “金栗四三ミュージアム開館記念 樹原涼子トーク&コンサートコーナー無事終了!”. 2021年5月1日閲覧。
  6. ^ a b 熊本の陸上競技小史” (pdf). 熊本陸上競技協会. 2021年5月1日閲覧。
  7. ^ a b 束原文郎 2013, p. 270.
  8. ^ 束原文郎 2013, p. 251.
  9. ^ 束原文郎 2013, p. 252.

参考文献

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関連項目

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