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湶純江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
湶 純江 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Sumie AWARA
国籍 日本の旗 日本
競技 跳躍競技
種目 走幅跳
所属 東急
長野スズキ
鈴木自動車工業
生年月日 1952年8月19日
出身地 長野県上田市[1]
没年月日 (2007-10-17) 2007年10月17日(55歳没)
死没地 長野県上田市[2]
身長 171cm
体重 61kg
自己ベスト
走幅跳 6m41cm(1976年)
獲得メダル
日本の旗 日本
陸上競技
アジア競技大会
1978 女子走幅跳
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湶 純江(あわら すみえ、1952年8月19日 - 2007年10月17日)は、日本陸上競技走幅跳)選手。1976年モントリオールオリンピックに出場。1976年から1987年にかけて、女子走幅跳の日本記録保持者であった[1]

経歴

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長野県上田市出身[1]。きょうだい皆が学生スポーツで活躍したというスポーツ一家に育つ[3][注釈 1]長野県上田千曲高等学校卒業[1][4]東急に所属し[1]、1974年の第14回実業団・学生対抗陸上競技大会の女子走幅跳において6m00cmの記録で優勝した[5]

その後、⻑野スズキに所属[1][4]。1976年4月25日の長野県春季大会において[1]、女子走幅跳で当時の日本タイ記録である6m41cmをマークした[1][2]。同年のモントリオールオリンピックに出場した[6][2][7]。オリンピックでは6m04で予選を通過できなかった[1]

1978年、バンコクで開催されたアジア競技大会に出場し、女子走幅跳で銅メダルを獲得した[2]

日本陸上競技選手権女子走幅跳では1976年から1979年まで4連覇を達成した[8][注釈 2]。1979年、第3回アジア陸上競技選手権大会において6m42cm(追風参考)で金メダル[10][注釈 3]

2007年10月17日、病気のため上田市で死去[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 実兄の湶勉はテニス選手で、のちに上田市体育協会副会長を務める[1]
  2. ^ 所属は1976年から1979年まで長野スズキ、1979年は鈴木自工[8]。2024年現在、日本選手権における女子走幅跳4連覇は、山下博子の8連覇に次ぎ、山内リエ秦澄美鈴と並んで2位タイである[9]
  3. ^ 所属はスズキ自動車[10]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 東信都市体育協会連絡協議会”. がんばれ長野 (2007年10月19日). 2024年10月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e 湶純江さん死去/モントリオール五輪代表”. 四国新聞社 (2007年10月19日). 2024年10月6日閲覧。
  3. ^ オリンピック代表 湶(あわら)選手がんばれ!」『広報うえだ』第723号、上田市、1976年7月16日、3頁。 
  4. ^ a b 束原文郎 2013, p. 280.
  5. ^ 実業団・学生対抗陸上競技大会 歴代優勝者(女子走幅跳)”. 2015オールスターナイト陸上. 日本学生陸上競技連合. 2024年10月6日閲覧。
  6. ^ Sumie Awara Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月17日閲覧。
  7. ^ チームプロフィール”. スズキアスリートクラブ. 2024年10月6日閲覧。
  8. ^ a b 日本選手権女子走幅跳優勝者”. 月陸Online. 陸上競技社. 2024年10月6日閲覧。
  9. ^ 【記録と数字で楽しむ第108回日本選手権】女子走幅跳:「7m」まであと3cmの秦のジャンプに注目!!”. SportsNavi. 日本陸上競技連盟 (2024年6月16日). 2024年10月6日閲覧。
  10. ^ a b アジア選手権金メダリスト 第1回~第10回(1973~1993)”. 日本陸上競技連盟. 2024年10月6日閲覧。

関連項目

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参考文献

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