湶純江
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選手情報 | |||||||||||||||
ラテン文字 | Sumie AWARA | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | 跳躍競技 | ||||||||||||||
種目 | 走幅跳 | ||||||||||||||
所属 |
東急 長野スズキ 鈴木自動車工業 | ||||||||||||||
生年月日 | 1952年8月19日 | ||||||||||||||
出身地 | 長野県上田市[1] | ||||||||||||||
没年月日 | 2007年10月17日(55歳没) | ||||||||||||||
死没地 | 長野県上田市[2] | ||||||||||||||
身長 | 171cm | ||||||||||||||
体重 | 61kg | ||||||||||||||
自己ベスト | |||||||||||||||
走幅跳 | 6m41cm(1976年) | ||||||||||||||
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湶 純江(あわら すみえ、1952年8月19日 - 2007年10月17日)は、日本の陸上競技(走幅跳)選手。1976年モントリオールオリンピックに出場。1976年から1987年にかけて、女子走幅跳の日本記録保持者であった[1]。
経歴
[編集]長野県上田市出身[1]。きょうだい皆が学生スポーツで活躍したというスポーツ一家に育つ[3][注釈 1]。長野県上田千曲高等学校卒業[1][4]。東急に所属し[1]、1974年の第14回実業団・学生対抗陸上競技大会の女子走幅跳において6m00cmの記録で優勝した[5]。
その後、⻑野スズキに所属[1][4]。1976年4月25日の長野県春季大会において[1]、女子走幅跳で当時の日本タイ記録である6m41cmをマークした[1][2]。同年のモントリオールオリンピックに出場した[6][2][7]。オリンピックでは6m04で予選を通過できなかった[1]。
1978年、バンコクで開催されたアジア競技大会に出場し、女子走幅跳で銅メダルを獲得した[2]。
日本陸上競技選手権女子走幅跳では1976年から1979年まで4連覇を達成した[8][注釈 2]。1979年、第3回アジア陸上競技選手権大会において6m42cm(追風参考)で金メダル[10][注釈 3]。
2007年10月17日、病気のため上田市で死去[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j “東信都市体育協会連絡協議会”. がんばれ長野 (2007年10月19日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ a b c d e “湶純江さん死去/モントリオール五輪代表”. 四国新聞社 (2007年10月19日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ 「オリンピック代表 湶(あわら)選手がんばれ!」『広報うえだ』第723号、上田市、1976年7月16日、3頁。
- ^ a b 束原文郎 2013, p. 280.
- ^ “実業団・学生対抗陸上競技大会 歴代優勝者(女子走幅跳)”. 2015オールスターナイト陸上. 日本学生陸上競技連合. 2024年10月6日閲覧。
- ^ “Sumie Awara Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月17日閲覧。
- ^ “チームプロフィール”. スズキアスリートクラブ. 2024年10月6日閲覧。
- ^ a b “日本選手権女子走幅跳優勝者”. 月陸Online. 陸上競技社. 2024年10月6日閲覧。
- ^ “【記録と数字で楽しむ第108回日本選手権】女子走幅跳:「7m」まであと3cmの秦のジャンプに注目!!”. SportsNavi. 日本陸上競技連盟 (2024年6月16日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ a b “アジア選手権金メダリスト 第1回~第10回(1973~1993)”. 日本陸上競技連盟. 2024年10月6日閲覧。
関連項目
[編集]- 真保正子 - 上田出身の投擲競技選手。1932年ロサンゼルスオリンピック出場。
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、2013年、242-316頁。