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井口省吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井口 省吾
生誕 1855年9月20日
日本の旗 駿河国駿東郡上石田村
死没 (1925-03-04) 1925年3月4日(69歳没)
静岡県駿東郡長泉村下土狩
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1877 - 1920
最終階級 陸軍大将
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井口 省吾(いぐち しょうご、安政2年8月10日1855年9月20日) - 大正14年(1925年3月4日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将 従二位 勲一等 功二級日清戦争日露戦争期を代表する軍人の一人である。駿河国出身。

経歴

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歩兵第九聯隊大津分営に兵卒として入営し、翌年、陸軍士官学校を受験している。

陸軍士官学校(旧2期)、陸軍大学校(1期)を経て1887年ドイツ留学[1]。日露戦争時には満州軍総司令部参謀となり、奉天会戦などの作戦指揮にあたった。児玉源太郎は口癖のように、「俺には普賢菩薩文殊菩薩がついている。」と井口と松川敏胤の両名を頼りにしていたという。またドイツ留学の経験を生かし、いろいろな訳書を行った。明治39年(1906年)に功二級金鵄勲章、大正3年(1914年)に勲一等瑞宝章を受章している。反長州閥として知られ、東條英教東條英機の父)とは親友であった。

年表

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栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

著作

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翻訳

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  • 『時弊矯正之基』豊島鉄太郎、1892年1月。全国書誌番号:40064318 

共纂

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校閲

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  • ブルーメ 著、辻本貫一 訳『戦略論』 巻之上、陸軍大学校〈陸軍大学校読本〉、1892年。 NCID BB28698349全国書誌番号:41022033 
  • ブルーメ 著、辻本貫一 訳『戦略論』博愛館書店、1897年4月。 NCID BB04506680 

日記

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脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 81頁。
  2. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  3. ^ 『官報』第3613号「叙任及辞令」1895年7月16日。
  4. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  5. ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
  6. ^ 『官報』第7288号「叙任及辞令」1907年10月12日。
  7. ^ 『官報』第94号「叙任及辞令」1912年11月21日。
  8. ^ 『官報』第1017号「叙任及辞令」1915年12月21日。
  9. ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。
  10. ^ 『官報』第2442号「叙任及辞令」1920年9月21日。
  11. ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
  12. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  13. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  14. ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
  15. ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
  16. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  17. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  18. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
  19. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  20. ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1919年2月28日。
  21. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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先代
内山小二郎
第15師団長
第5代:1912年11月27日 - 1915年1月25日
次代
由比光衛
先代
安東貞美
朝鮮駐剳軍司令官
第4代:1915年1月25日 - 1916年8月18日
次代
秋山好古