井坂孝
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井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月8日[1])- 1949年(昭和24年)6月19日[1])は、日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。
経歴
[編集]常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市)で水戸藩士・井坂幹の三男として生まれる[1][1]。茨城県尋常中学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業し、東洋汽船会社に入社[1]。
以後、東洋汽船会社取締役兼営業部長、横浜海上火災保険 (株) 専務取締役、同社長を務めた[1][2]。経営破綻した七十四銀行の整理を行い、受け皿となる横浜興信銀行を設立し、副頭取、頭取を務めた[1][3]。1921年(大正10年)4月、横浜商業会議所会頭に就任し関東大震災の復興に尽力した[1][3]。その後、横浜取引所理事長、東京瓦斯 (株) 社長、三井銀行取締役、日本工業倶楽部理事長、日本経済連盟会会長、日本証券取引所総裁などを歴任した[1]。
この他大日本産業報国会審議員[4]、大政翼賛会総務[5]を務めた。
1944年(昭和19年)11月1日、貴族院勅選議員に任じられ、1945年(昭和20年)11月24日[6]まで在任[1][2][7]。同年11月20日に枢密顧問官となり、1946年(昭和21年)6月13日に依願免本官となり[1][8]、公職追放となった[9]。この間、鉄道運賃審議会会長、大蔵省顧問、終戦連絡中央事務局参与などを務めた[2][7]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『日本近現代人物履歴事典』37頁。
- ^ a b c 『国立公文書館所蔵 枢密院高等官履歴 第7巻』159-166頁。
- ^ a b 『20世紀日本人名事典 あ-せ』168頁。
- ^ 『朝日新聞』1940年11月24日朝刊一面。「大日本産業報国会役員一覧」
- ^ 『大衆人事録』第14版「東京篇」50頁、 昭和17年、帝国秘密探偵社。
- ^ 『官報』第5663号、昭和20年11月27日。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』93頁。
- ^ 『官報』第5829号、昭和21年6月21日。
- ^ 公職追放の該当事項は「翼賛総務」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、164頁。NDLJP:1276156。)
- ^ a b c d e 「井坂孝」 アジア歴史資料センター Ref.A06051183000
- ^ 「井坂顧問官定例叙位」 アジア歴史資料センター Ref.A06050994800
参考資料
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国立公文書館所蔵 枢密院高等官履歴 第7巻』東京大学出版会、1997年。ISBN 4130987178
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。
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