井沢元晴
表示
井沢元晴(いざわもとはる、1915年 - 1990年)は、絵師、鳥瞰図製作者。
生涯
[編集]神戸市生まれで、神戸の印刷会社に勤めながらデザインを学んでいたが、28歳で陸軍に応召、船舶砲兵としてフィリピンへ。太平洋戦争中はフィリピンで作戦図を作る任務に就いた[1][2][3]。1944年に帰国し、広島の宇品港で防空勤務に就いた後、広島県福山市で終戦を迎えた。
制作
[編集]終戦後は焼け野原になった広島や大阪[4]、神戸の街を巡り、惨状をスケッチした。それをもとに約20年かけ、約400点の戦災画を描いた[2][3]。戦後20年間は「戦災で荒廃した郷土の美しさを子どもたちに知ってもらいたい」との思いから「郷土絵図」と題した鳥瞰図を多く制作。主に近畿や中国地方の小中学校に社会科の教材として納めた[5]。その後、鳥瞰図を社会科教材として活用させてほしいと学校から提案され、移り住んだ鳥取県倉吉市を拠点に、近畿や中国地方の小中学校に作品を納めるようになったという[6]。日本各地の鳥瞰図を描き、「昭和の伊能忠敬」「漂泊の絵図師」と呼ばれた[5]。作品数は1千点を超える。
作品
[編集]作品題名・内容、製作年、所蔵者・所蔵組織
- 日本鳥かん図出版 編『古京 飛鳥(ニッチョウの見やすいパノラマ絵図)』明日香村観光協会。
- “資料詳細 – 広島平和記念資料館平和データベース”. hpmm-db.jp. 2024年3月19日閲覧。
- 「私たちの和田山町」、1965年、兵庫県朝来市和田山町 朝来市立大蔵小学校[6]。
- 「私たちの郷土 山東町」、製作年不明、兵庫県朝来市山東町、朝来市シルバー人材センター(旧与布土小学校)[6]。
- 「笠岡市全景立体図」、「躍進井原市」、「吉備路」、「倉吉市と周辺 文化遺跡絵図」、「倉敷美観地区絵図」、「福山展望図」
- 題名不詳、兵庫県美方郡新温泉町と近隣市町を描いたもの、1966年、浜坂南小学校(新温泉町栃谷)校舎3階の壁面に掲示[5]。
脚注・参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ “神戸大空襲から78年 兵庫区、薬仙寺の慰霊祭で祈り捧げる:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年3月17日). 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b “「昭和の伊能忠敬」と呼ばれた孤高の画家、描き続けた平和への願い:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年11月2日). 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b “絵師 井沢元晴 鳥観図に込められた平和への思い|NHK 鳥取県のニュース”. 日本放送協会 (2023年8月3日). 2024年3月19日閲覧。
- ^ “絵師・井沢元晴氏の遺作展「大阪戦災画展」 府立中之島図書館で15日まで”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2023年8月3日). 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b c “不戦願う鳥瞰図現存 「昭和の伊能忠敬」井沢元晴さん作 浜坂南小 思い大切に授業活用を検討”. 日本海新聞 NetNihonkai (2023年9月5日). 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b c “「昭和の伊能忠敬」の巨大な鳥瞰図、小学校に残っていた 今再び注目を集める作品群に込められた優しき願い” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2022年12月17日). 2024年3月19日閲覧。
参考文献
[編集]関連文献
[編集]- 堀淳一『地図と風土』そしえて〈そしえて選書〉、1978年。doi:10.11501/9583656。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “井沢元晴の「鳥観図」倉吉で見つかる 県中部の原画など5点”. 日本放送協会 (2023年7月20日). 2024年3月18日閲覧。
- “絵師 井沢元晴 鳥観図に込められた平和への思い|NHK 鳥取県のニュース”. 日本放送協会 (2023年8月3日). 2024年3月19日閲覧。