井田誠一
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井田 誠一(いだ せいいち、1908年(明治41年)8月13日 - 1993年(平成5年)10月12日)は、昭和期の作詞家。
経歴
[編集]戦後、ビクター専属作詞家として活躍し、「東京シューシャンボーイ」、「水色のスーツケース」、「若いお巡りさん」などを作詞。明るい内容の歌詞が特徴的だった。その他、外国曲の訳詞を行った。
1993年(平成5年)10月12日死去。享年85。墓所は八王子市の富士見台霊園。
1999年、高尾山薬王院の境内に「若いお巡りさん」の歌詞を刻んだ歌碑が建立された[1]。
代表曲(作詞)
[編集]- 『リラの花かげ』(昭和23年6月) 作曲:松井八郎、歌:吉岡妙子
- 『リオのポポ売り』(昭和25年5月) 作曲:松井八郎、歌:暁テル子
- 『東京コンガ』(昭和25年6月) 作曲:高橋忠雄、歌:山口淑子
- 『チューインガムは恋の味』(昭和25年8月) 作曲:清水保雄、歌:暁テル子
- 『東京シューシャンボーイ』(昭和26年6月) 作曲:佐野鋤、歌:暁テル子
- 『水色のスーツケース』(昭和26年9月) 作曲:利根一郎、歌:灰田勝彦
- 『時計のささやき』(昭和27年8月) 作曲:服部良一、歌:ナンシー梅木
- 『東京やんちゃ娘』(昭和27年12月) 作曲:吉田正、歌:宮城まり子
- 『東京ティティナ』(昭和28年8月) 作曲:松井八郎、歌:生田恵子
- 『若いお巡りさん』(昭和31年4月) 作曲:利根一郎、歌:曽根史郎
- 『帰る故郷もない俺さ』(昭和32年4月) 作曲:利根一郎、歌:曽根史郎
- 『泣かないで』(昭和33年8月) 作曲:吉田正、歌:和田弘とマヒナスターズ
代表曲(訳詞)
[編集]- 『遥かなる山の呼び声』(昭和28年11月)作曲:ヴィクター・ヤング、歌:雪村いづみ
- 『青いカナリヤ』(昭和29年5月)作曲:ヴィンセント・C・フローリン、歌:雪村いづみ
- 『オー・マイ・パパ』(昭和29年5月)作曲:ポール・ブルックバード、歌:雪村いづみ
- 『チャチャチャは素晴らしい』(昭和30年12月)作曲:エンリケ・ホリン、歌:雪村いづみ[2]
- 『16トン』(昭和31年4月)作曲:トラヴィス・マール、歌:フランク永井
- 『バナナ・ボート』(昭和32年6月) 作曲:キューバ労働歌、歌:浜村美智子
- 『ジングル・ベル』作曲:ジェームズ・ロード・ピアポント、歌:古賀さと子[3]
著書
[編集]- 殴る:小説集、秀峰社、1942年
脚注
[編集]- ^ a b “故郷に詩刻み歌響く ヒット曲生んだ作詞家、故井田誠一さん”. 朝日新聞・朝刊・山梨: p. 28. (1999年10月29日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “チャチャチャは素晴らしい(Milagros Del Cha Cha Cha)”. 国立国会図書館. 2016年6月28日閲覧。
- ^ “昭和レトロ ビクター 名作童謡集 8 ドレミの歌 ...”. Yahoo!オークション. 2024年7月22日閲覧。