井藤真吾
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2013年7月18日、こまちスタジアムにて | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 岐阜県武儀郡武芸川町(現:関市) |
生年月日 | 1990年5月27日(34歳) |
身長 体重 |
185 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト7位 |
初出場 | 2013年9月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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井藤 真吾(いとう しんご、1990年5月27日 - )は、岐阜県武儀郡武芸川町(現:関市)出身の元プロ野球選手(外野手)。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]中京大中京高では2年までエースであったが、打撃に専念するため外野手に転向する。3年春には、第80回選抜高等学校野球大会に出場。初戦で明徳義塾高に延長10回の末2-3でサヨナラ負けを喫する。夏は、西愛知予選準決勝で愛知啓成高に4-8で敗退。
2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議にて中日ドラゴンズから7位指名を受け入団。背番号は62。
プロ入り後
[編集]2009年、2010年シーズンとも一軍出場はなく、二軍でも主に代走などでの起用にとどまり、2010年12月2日に自由契約選手として公示され、翌シーズンから育成選手として引き続き中日と契約した[1]。背番号は205に変更となった。
2011年は二軍で打率.059、1本塁打、1打点、2012年は二軍で打率.263、0本塁打、19打点の成績を残した。2012年のオフに台湾で行われたアジア・ウィンター・リーグでは20試合46打数18安打、打率.391で8打点の成績を残した。
2013年7月22日に再び支配下選手登録されることが球団より発表された[2]。背番号は46。シーズン終盤の9月に一軍初出場を含む4試合に出場したが、安打を打つことはできなかった。背番号はシーズン終了後に60に変更された。
2014年は一軍出場なしに終わり、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[3]。12月2日、自由契約公示された[4]。
現役引退後は、2015年から故郷の岐阜県で中日新聞販売店の店主を務めている[5]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2013 | 中日 | 4 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 4 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
[編集]- 初出場・初打席:2013年9月29日、対阪神タイガース23回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に矢地健人の代打で出場、ランディ・メッセンジャーから中飛
背番号
[編集]- 62 (2009年 - 2010年)
- 205 (2011年 - 2013年途中)
- 46 (2013年途中 - 同年終了)
- 60 (2014年)
脚注
[編集]- ^ “来季の選手契約について”. 中日ドラゴンズ (2010年12月2日). 2012年8月23日閲覧。
- ^ “井藤選手が支配下選手登録に”. 中日ドラゴンズ (2013年7月22日). 2013年7月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2014年10月1日配信
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ i0527adgjmの2015年11月5日のツイート- X(旧Twitter)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 井藤真吾 - NPB.jp 日本野球機構
- 井藤真吾 (@i0527adgjm) - X(旧Twitter)