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京極宮家仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京極宮家仁親王
京極宮
京極宮家仁親王像(宮内庁侍従職蔵)
続柄 京極宮文仁親王第1王子

身位 一品
親王
敬称 殿下
出生 宝永元年4月1日1704年5月4日
山城国
死去 明和4年12月6日1768年1月25日
山城国
埋葬 不明
不明
配偶者 正室:鷹司基子(尚君)(鷹司兼熙の娘)
子女 第一王子:京極宮公仁親王(第9代京極宮(桂宮)
第二王子:知恩院宮尊峰入道親王
第三王子:一乗院宮尊映入道親王
第一王女:豊子女王(有馬頼僮正室
父親 京極宮文仁親王(第7代京極宮(桂宮)
母親 藤原直子(滋野井公澄の娘)
役職 式部卿
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京極宮家仁親王(きょうごくのみや やかひとしんのう、宝永元年4月1日1704年5月4日) - 明和4年12月6日1768年1月25日))は、江戸時代中期の日本皇族世襲親王家京極宮桂宮)第8代当主。京極宮文仁親王の第一王子。母は滋野井公澄の女の藤原直子。幼称は若宮。

宝永5年(1708年)12月に東山天皇猶子となり、茶々丸(ちゃちゃまる)の名を賜る。宝永6年(1709年)4月親王宣下を受け、家仁と命名される。正徳3年(1713年)12月元服し、式部卿に任ぜられる。

享保5年(1720年関白鷹司兼熙の女の基子(尚君)と結婚する。享保9年(1724年)二品に叙せられる。明和4年(1767年)12月3日一品に叙せられるが、同月6日薨去。65歳。法名は後桂光院。

系譜
  • 御息所:鷹司豊子 - 鷹司兼熙の娘
    • 第一王女:豊子女王(登與宮、1721-1774) - 有馬頼僮室、景福院花岳宗富
    • 第二王女:某(1725-1725) - 真珠光院
  • 家女房:北小路雅子 - 北小路俊在の娘
    • 第三王女:某(1730-1730) - 徳菩提院
  • 家女房:谷野氏
  • 家女房
    • 第一王子:公仁親王(若宮、1733-1770) - 9代桂宮

外部リンク

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