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尊映入道親王(そんえいにゅうどうしんのう、寛延元年11月2日〈1748年12月21日〉[1] - 寛政5年12月9日〈1794年1月10日〉)は、江戸時代中期の皇族。京極宮家仁親王の第三王子。幼名は良宮。初名は惟基。
宝暦2年(1752年)に興福寺一乗院相続が決められ、宝暦9年(1759年)に桃園天皇の猶子として親王宣下を受ける。翌年一乗院に入って得度する。明和6年(1769年)に興福寺別当になるが、寛政5年(1793年)に病のために別当を辞する。これを受けて朝廷では一品親王として遇するが、間もなく病死した。
- ^ 『系図纂要』では、延享3年7月29日〈1746年9月14日〉生まれとする。