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京都市立城巽中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京都市立城巽中学校
地図北緯35度0分42.9秒 東経135度45分9.9秒 / 北緯35.011917度 東経135.752750度 / 35.011917; 135.752750座標: 北緯35度0分42.9秒 東経135度45分9.9秒 / 北緯35.011917度 東経135.752750度 / 35.011917; 135.752750
過去の名称 上京第二十四番組小学校
城巽尋常小学校
城巽国民学校
城巽女子商業学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1947年昭和22年)5月10日[1]
創立年月日 明治2年(1869年)10月6日
閉校年月日 2003年(平成15年)3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 604-0052
京都市中京区油小路通御池上る押油小路町238-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立城巽中学校(きょうとしりつじょうそんちゅうがっこう)は、京都府京都市中京区にあった公立中学校。なお、本項では同地にあった前身の城巽小学校および城巽幼稚園についても解説する。

概要

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京都市立城巽中学校は、明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つである城巽小学校がもとになり、戦中の城巽女子商業学校を経て、戦後の教育改革に際して昭和22年(1948年)に新制中学校として開校し、2003年(平成15年)に京都市立京都御池中学校に統合され、閉校した。

校名は、二条城東南)の方角に位置することにちなむ[2]

沿革

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城巽小学校

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城巽女子商業学校

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  • 1943年(昭和18年)- 城巽国民学校が廃止され、城巽女子商業学校が設置される。
    • 京都市立城巽女子商業学校は、京都市立女子商業学校として昭和12年4月20日に開校し、同年7月15日に、中京区富小路通二条上る鍛冶屋町(元京都市立商業実修学校地)から左京区岡崎入江町に移転した[7]。同地から城巽国民学校の跡地への移転に際して、昭和18年3月に京都市立女子商業学校から京都市立城巽女子商業学校に校名が変更された[8]。その後昭和19年に学科の設置、修業年限等の変更が行われた[9]。戦後昭和23年に閉校し、京都市立堀川高等学校に統合された[10]

城巽中学校

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  • 1947年(昭和22年) - 学制改革により京都市立城巽中学校開校。城巽女子商業学校内に併設[11]
  • 1948年(昭和23年) - 城巽女子商業学校が閉校となり、城巽中学校として独立[12]
  • 1996年(平成8年) - 城巽幼稚園閉園。

閉校後の校地活用

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通学区域

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城巽中学校の通学区域は、龍池小学校本能小学校明倫小学校の通学区域、元学区でいうと龍池学区本能学区明倫学区・城巽学区であった[12]。 戦前の城巽小学校の通学区域は、城巽学区各町であった。

城巽学区

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城巽学区(じょうそんがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる元城巽小学校の通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。

城巽学区の沿革

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明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第24番組に由来し、同年には、区域内に上京第24番組小学校が創立した。

上京第24番組は、明治5年(1872年)には上京第27区、明治12年(1879年)にはとなり上京第27組となった。設置された上京第24番組小学校は、その後明治9年に校名を城巽に改称した[6]

上京第27組は、学区制度により明治25年(1892年)には上京第22学区となった[15]

昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、上京第22学区から城巽学区となり、中京区に属した[16]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[17]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

昭和18年(1943年)に城巽国民学校が廃され、同校の校地校舎は城巽女子商業学校となった。戦後の教育改革により、昭和22年(1947年)に城巽女子商業学校に併設して新制の城巽中学校が開校し、翌昭和23年には独立校となった。城巽中学校は平成15年(2003年)に京都御池中学校への統合に伴い閉校した[11]

城巽学区の通学区域

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城巽学区に設けられた城巽小学校が、新制中学校の城巽中学校となったため、城巽学区の小学校の通学区域は、龍池小学校明倫小学校の2校に分けられ、以降城巽学区の範囲は小学校の通学区域と一致しない[16]。現在は京都市立御所南小学校京都市立高倉小学校の通学区域となっている。

人口・世帯数

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京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[18]、城巽学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第2国勢統計区[注釈 1])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は5,347人、3,245世帯である。

地理

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中京区の北東部に位置する学区であり、北側は梅屋学区、東側は龍池学区、南側は明倫学区本能学区、西側は教業学区(北東部は二条城)に接する。区域は、北は二条通、南は三条通、西は新町通の手前から、東は堀川通に面し,御池通が中央部を東西に貫いており、面積は0.22平方キロメートルである[19][注釈 2]

城巽学区内の通り

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城巽学区の町名

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  • 上松屋町
  • 下松屋町
  • 津軽町
  • 突抜町
  • 二条西洞院町
  • 押西洞院町
  • 三坊西洞院町
  • 姉西洞院町
  • 古城町
  • 下古城町
  • 壺屋町
  • 西堂町
  • 二条油小路町
  • 押油小路町
  • 式阿弥町
  • 宗林町
  • 土橋町
  • 押堀町
  • 三坊堀川町
  • 姉東堀川町
  • 正行寺町
  • 西大黒町
  • 矢幡町
  • 橋之町
  • 石橋町
  • 森ノ木町
  • 宮木町
  • 鍛冶町

周辺

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脚注

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注釈

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  1. ^ 令和2年国勢調査時点
  2. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国政統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値。

出典

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  1. ^ a b 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 231, 「京都市立城巽中学校
  2. ^ a b 学校紹介”. www.edu.city.kyoto.jp. 2023年6月4日閲覧。
  3. ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 64–65, 「中京区城巽学区
  4. ^ a b 『閉校記念誌 城巽』 (2007), p. 15.
  5. ^ 京都市立中京もえぎ幼稚園 沿革史
  6. ^ a b c 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。
  7. ^ 京都市立女子商業学校一覧 昭和13年7月』京都市立女子商業学校、1938年https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1282214?page=5 
  8. ^ 京都府立総合資料館 編「昭18(1943)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、206頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/114 
  9. ^ https://www.digital.archives.go.jp/img/3837546
  10. ^ https://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/documents/5_3.pdf
  11. ^ a b c 京都市立中学校・総合支援学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年2月3日閲覧。
  12. ^ a b 『閉校記念誌 城巽』 (2007), p. 43.
  13. ^ 『閉校記念誌 城巽』 (2007), p. 14.
  14. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 11, 「城巽学区」.
  15. ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418https://dl.ndl.go.jp/pid/788418/1/171 
  16. ^ a b c 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 232–233, 「城巽学区
  17. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  18. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  19. ^ a b 素晴らしきわがまち「城巽学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月17日アーカイブ分)
  20. ^ 語りつがれるわがまち「城巽学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月25日アーカイブ分)

参考文献

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  • 京都市教育委員会 編『閉校記念誌 城巽 輝ける134年のあゆみ』京都市教育委員会、2007年。 
  • 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674ISBN 9784582477092 
  • 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 
  • 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830 
  • 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年https://www.city.kyoto.lg.jp/digitalbook/page/0000000960.html2024年3月2日閲覧 
  • 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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