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京都市立富有小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京都市立富有小学校
地図北緯35度0分57秒 東経135度45分52秒 / 北緯35.01583度 東経135.76444度 / 35.01583; 135.76444座標: 北緯35度0分57秒 東経135度45分52秒 / 北緯35.01583度 東経135.76444度 / 35.01583; 135.76444
過去の名称 上京第二十二番組小学校
富有尋常小学校
富有国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 明治2年(1869年)10月16日
創立者 上京第二十二番組
閉校年月日 平成5年(1993年)3月31日
所在地 604-0973
京都市中京区柳馬場通夷川上ル五丁目242
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立富有小学校(きょうとしりつ ふゆうしょうがっこう)は京都市中京区にあった公立小学校明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成5年(1993年)に京都市立竹間小学校との統合により京都市立竹間富有小学校となり、閉校した。

沿革

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校名の由来

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改称時の校地(二条富小路上る)が富小路殿跡であったことから富の字を採り命名[1][注釈 2]。また、中国の詩人蘇軾の句「天公は真に富有なり」にもちなむとされる[3][7]

通学区域

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富有小学校の通学区域は、元学区富有学区に加え、昭和23年(1948年)に銅駝小学校が新制中学校の銅駝中学校に、柳池小学校が新制中学校の柳池中学校となったため、以来柳池学区および銅駝学区の一部を含むこととなった。

富有学区

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富有学区(ふゆうがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての元富有小学校の通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。

富有学区の沿革

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明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第22番組に由来し、同年には、区域内に上京第22番組小学校が創立した。

上京第22番組は、明治5年(1872年)には上京第25区、明治12年(1879年)にはとなり上京第25組となった。設置された上京第22番組小学校は、その後明治8年に校名を富有に改称した[2]

上京第25組は、学区制度により明治25年(1892年)には上京第20学区となった[8]

昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、上京第20学区から富有学区となり、中京区に属した[4]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[9]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

富有学区の通学区域

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富有学区の小学校の通学区域は、現在学区全域が京都市立御所南小学校となっている。

人口・世帯数

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京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[10]、富有学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第17国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,491人、1,196世帯である。

地理

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中京区の北東部に位置する学区であり、西側は竹間学区、南側は初音学区柳池学区、東側は銅駝学区、北側は上京区京都御苑滋野学区)と春日学区に接する。区域は、概ね北は丸太町通、南は二条通、東は寺町通、西は堺町通であり[4]、面積は0.168平方キロメートルである[注釈 4]

富有学区内の通り

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富有学区の町名

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公称町名は以下の30町。また、『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020) によれば、通称町名(いわゆる町内会)は22町である[11]

  • 下御霊前町
  • 久遠院前町
  • 要法寺前町
  • 毘沙門町
  • 松本町
  • 達磨町
  • 舟屋町
  • 笹屋町
  • 布袋屋町
  • 桝屋町
  • 大炊町
  • 鍛冶屋町
  • 四丁目
  • 五丁目
  • 六丁目
  • 橘町
  • 絹屋町
  • 亀屋町
  • 石屋町
  • 昆布屋町
  • 鍵屋町
  • 甘露町
  • 魚屋町
  • 和久屋町
  • 丸屋町
  • 木屋町
  • 俵屋町
  • 百足屋町
  • 桑原町
  • 菊屋町

周辺

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富有学区内の施設

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脚注

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注釈

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  1. ^ 小倉藩邸の跡地に整備。なお、二条富小路の旧地は京都時計製造会社に売却[2]され、その後明治34年に第五高等小学校が設置されたが、明治41年に廃された。その後、商業実修学校が置かれた[4]
  2. ^ 現在、二条富小路上るには同様に富小路殿跡を名称の由来とする富小路殿公園がある。
  3. ^ 令和2年国勢調査時点
  4. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービス国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。

出典

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  1. ^ a b NA113 富有小学校の碑”. www2.city.kyoto.lg.jp. 2023年5月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『京都市学区大観』 (1937), pp. 61–62, 「中京区富有学区
  3. ^ a b c d 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 62, 「京都市立富有小学校
  4. ^ a b c d e 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 106–107, 「富有学区
  5. ^ a b 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。
  6. ^ NA121 竹間小学校・竹間幼稚園の碑”. www2.city.kyoto.lg.jp. 2024年2月10日閲覧。
  7. ^ a b 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 34, 「富有小学校」.
  8. ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418https://dl.ndl.go.jp/pid/788418/1/171 
  9. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  10. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  11. ^ a b 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 9, 「富有学区」.
  12. ^ a b

参考文献

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  • 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674ISBN 9784582477092 
  • 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 
  • 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830 
  • 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年https://www.city.kyoto.lg.jp/digitalbook/page/0000000960.html2024年3月2日閲覧 
  • 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年1月27日閲覧。

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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