仁馬山古墳
仁馬山古墳 | |
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所在地 | 山口県下関市延行 |
位置 | 北緯34度0分49.87秒 東経130度56分31.93秒 / 北緯34.0138528度 東経130.9422028度座標: 北緯34度0分49.87秒 東経130度56分31.93秒 / 北緯34.0138528度 東経130.9422028度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長75m 高さ8m(後円部) |
埋葬施設 | 粘土槨(内部に割竹形木棺) |
出土品 | 埴輪片 |
築造時期 | 4世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「仁馬山古墳」 |
特記事項 | 山口県第3位/長門地方第1位の規模 |
地図 |
仁馬山古墳(じんばやまこふん[1]/じんまやまこふん[2])は、山口県下関市延行にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
長門地方(山口県西部)では最大、山口県では第3位の規模の古墳で[注 1]、4世紀後半(古墳時代前期)の築造と推定される。
概要
[編集]山口県西端、綾羅木(あやらぎ)平野を望む台地東端の斜面に築かれた古墳である。2005-2008年(平成17-20年)に4次の発掘調査が実施されている[3]。
墳形は前方部が未発達で古い様相の前方後円形で[3]、前方部を西北西方に向ける。墳丘は後円部のみ3段築成で、全体的に極めて良好に遺存する[3]。墳丘長は約75メートルを測り、長門地方(山口県西部)では最大、山口県では第3位の規模になる[4][注 1]。墳丘外表からは埴輪片が検出されており、部分的に円筒埴輪列が存在したと推定される[3]。埋葬施設は粘土槨で、ほぼ完存する[3]。粘土槨内部には割竹形木棺が認められているが、これは直径約1メートル・長さ約6メートルを測る長大なものになる[3]。そのほかに古墳の周囲では、陪塚と見られる小円墳2基(仁馬山北墳・仁馬山南墳)が認められている[1][3]。
この仁馬山古墳は、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される[3]。若宮古墳(綾羅木郷遺跡内)など一帯に分布する多くの古墳の中では、最も古い時期の築造に位置づけられる[1]。被葬者は明らかでないが、山口県西部を治めたとされる穴門国造一族に比定する説がある[5]。
古墳域は1991年(平成3年)に国の史跡に指定されている[1]。
遺跡歴
[編集]- 1902年(明治35年)、古墳の所在報告(鍵谷徳三郎により「延行の瓢形墳」と紹介)[5]。
- 1973年(昭和48年)、実測調査[6]。
- 1991年(平成3年)5月15日、国の史跡に指定[1]。
- 2005-2008年(平成17-20年)、4次の発掘調査[3]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:約75メートル
- 後円部 直径:約47メートル
前方部幅はほぼ後円部直径の2分の1を測る[1]。
陪塚
[編集]古墳周辺では、北側・南側に次の各1基の陪塚(陪冢)の築造が認められる[5]。
- 仁馬山北墳 - 円墳。畑地の開墾の際の削り残しとする説もある[5]。
- 仁馬山南墳 - 円墳。
文化財
[編集]国の史跡
[編集]脚注
[編集]注釈
出典
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(山口県教育委員会・下関市教育委員会設置)
- 地方自治体発行
- 「仁馬山古墳」『山口県史 資料編 考古1』山口県、2000年。
- その他
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『史跡仁馬山古墳 -山口県下関市大字延行字神間ほか地内 史跡仁馬山古墳発掘調査報告書-(下関市文化財調査報告書 28)』下関市教育委員会、2010年。