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今城媋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今城 媋子(いまき たつこ、1809年11月24日文化6年10月17日) - 1875年明治8年)6月7日)は、仁孝天皇典侍。父は権中納言今城定成。初名は敏子。通称は満喜、おまき、今参など。

生涯

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権中納言今城定成の娘として生まれる[1]1823年文政6年)より仁孝天皇の後宮に仕え、掌侍となる。1832年天保3年)に第五皇子の常寂光院宮を産むが夭折。1846年弘化3年)の天皇の死去後は剃髪して孝順院と号した。1854年嘉永7年)、召し使いの失火で内裏が類焼した責任をとわれ閉門となる[2]

1875年明治8年)6月7日、死去。享年67[2]。墓所は京都府京都市三宝寺

脚注

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  1. ^ 「維新史料綱要」(維新史料編纂事務局、1937年
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社