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今戸焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歌川広重『名所江戸百景』より「隅田川橋場の渡し かわら窯」。前景が浅草橋場町と呼ばれた一帯で、今戸焼の窯から煙が上がっている。

今戸焼(いまどやき)は、東京台東区今戸橋場とその周辺(浅草の東北)で焼かれていた素焼および楽焼の陶磁器

江戸時代から明治時代にかけて、日用雑器、茶道具土人形今戸人形)、火鉢植木鉢等を生産した[1]。言い伝えによれば天正年間(1573年1592年)に生産が始まるといわれる。1752年(宝暦2年)には今戸焼職人が今戸神社に狛犬を寄進している[2]。風来山人『風流志道軒伝』(1763年)に見える「今戸焼」が文献初出とされることがある。金森得水『本朝陶器攷證』によれば、幕末期には今戸焼を生産する家が約50軒ほどあったという[1]

有坂与太郎『郷土玩具大成』によれば、今戸人形の全盛期は天保安政年間(1830年ー1860年)である。同書によれば、今戸は招き猫の唯一の生産地としており、最盛期は文化文政年間(1804年ー1830年)になってからであるとし、当時猫と狐は今戸人形を代表する観さえ呈している、という。

今戸焼の作例

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浮世絵

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江戸時代、今戸焼きが製造されている風景は何人かの画家の手によって浮世絵にも描かれている。歌川広重が『名所江戸百景』(画像参照)において今戸焼を製造している(かま)の様子を画面に描き込んでいるほか、歌川国芳も『東都名所』に「浅草今戸」と題した1枚で同様の風景を題材としてとっている[3]

脚注

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  1. ^ a b 今戸焼作り”. 台東区ホームページ. 2020年6月18日閲覧。
  2. ^ 石造狛犬”. 台東区ホームページ. 2020年6月18日閲覧。
  3. ^ 鈴木重三 監修『生誕200年記念 歌川国芳』 日本経済新聞社 1996年 255頁

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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