橋場
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橋場 | |
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橋場寺不動院 | |
北緯35度43分33.79秒 東経139度48分24.27秒 / 北緯35.7260528度 東経139.8067417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 台東区 |
地域 | 浅草地域 |
人口 | |
• 合計 | 5,726人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
111-0023[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
橋場(はしば)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は橋場一丁目および橋場二丁目。郵便番号は111-0023[2]。
地理
[編集]台東区の北東部に位置する。北辺は隅田川になり、これを境に墨田区堤通に接する。町域南部は今吉柳通りに接し、これを境に台東区今戸に接する。西部は台東区清川に接する。町域北部は、明治通りに接しこれを境に荒川区南千住に接する。商業地と住宅地とが混在した区域である。
歴史
[編集]橋場は『義経記』『源平盛衰記』に浮き橋を架けたと記載があり、それが地名の由来とされる[4]。1913年(大正2年)まで隅田川には、最も古い渡しとして橋場の渡し(現在の橋場2丁目から墨田区堤通を結ぶ)があった。1964年(昭和39年)の住居表示変更でそれ以前の浅草石浜町1丁目から3丁目の一部東側と浅草橋場町1丁目から3丁目全域から新町名として橋場と命名された。
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世帯数と人口
[編集]2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
橋場一丁目 | 1,923世帯 | 3,739人 |
橋場二丁目 | 1,139世帯 | 1,987人 |
計 | 3,062世帯 | 5,726人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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橋場一丁目 | 全域 | 台東区立石浜小学校 | 台東区立桜橋中学校 |
橋場二丁目 | 全域 |
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]- 台東区循環バスめぐりん
- 北めぐりん:(7) 橋場老人福祉館西(産業研修センター)・(8) 橋場一丁目
- ぐるーりめぐりん:(11) 橋場二丁目・(12) 橋場二丁目アパート前・(13) 橋場一丁目
- 都営バス里22
- 日暮里駅前行き・南千住車庫前
- 亀戸駅前
施設
[編集]- 東京都人権プラザ
- 台東区立産業センター
- 台東区立石浜図書館
- 橋場寺不動院 - 天台宗の仏教寺院。関東三十六不動霊場の第23番霊場。
- 福寿院 - 曹洞宗の仏教寺院
- 保元寺 - 浄土宗の仏教寺院
- 玉蓮院 - 浄土宗の仏教寺院
- 松吟寺 - 曹洞宗の仏教寺院
- 台東区立橋場公園
- 宗教法人東方之光
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 大熊仁三郎(浅草区会議員、地主、日出土地社長[6])
- 岡田茂吉(世界救世教教祖) - 生誕地は広場として整備されている。
- 小松宮彰仁親王 - 浅草別邸があった。
- 三条実美 - 別邸「對鴎荘」があった。
- 梶原一騎 - 木賃アパートで三兄弟の長男として生まれた。
脚注
[編集]- ^ a b “町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
- ^ 橋場・今戸 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 国立国会図書館
- ^ “区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第38版』東京オ、ヲの部164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。