今村惟善
表示
今村 惟善(いまむら いぜん、1877年(明治10年)11月9日[1] - 1925年(大正14年)4月25日[1])は、日本の内務官僚。
経歴
[編集]山形県米沢市福田町[1]にて今村知義の三男として生まれる。今村家は米沢藩の御扶持方(中士階級)の家柄である。同姓の今村信次郎は縁戚にあたる。1903年(明治36年)、日本大学本科卒業[2]。1904年(明治37年)、大蔵属となり、1907年(明治40年)に高等文官試験に合格した[2]。1908年(明治41年)、北海道庁警視となり、札幌警察署長、大分県事務官、同警察部長、山梨県警察部長、長崎県警察部長、栃木県内務部長を歴任した[1][2]。
1921年(大正10年)に退官した後は、京都市助役を務めた[1]。
著書
[編集]- 『個性鑑別法の研究 如何にせは人の性格を察知し得るか』(清水書店、1915年)
- 『欧米市政行脚』(都市研究会、1926年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e 「故今村惟善位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113498200
- ^ a b c 山梨人事興信録 1918.
参考文献
[編集]- 『山梨人事興信録』甲府興信所、1918年。
- 「故今村惟善位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113498200