コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

今村武俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今村 武俊(いまむら たけとし、1922年2月22日[1] - 2012年10月10日[2]は、日本文部官僚教育評論家鹿屋体育大学第3代学長名誉教授[3]鹿児島女子大学学長[4]

経歴

[編集]

鹿児島県姶良郡東国分村(現・霧島市の一部)出身[5]。父は鹿児島県(男子)師範学校附属小学校教頭や柁城小学校校長を歴任する今村武彦[6]。父が教頭を務める附属小学校を卒業後、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ進学して4年次に「高校組」(高等学校進学志望者特別学級)の級長を務め、1939年第七高等学校造士館 (旧制)に首席合格し旧制中学四年修了[5]1942年七高造士館を卒業[2]1947年[2]東京帝国大学法学部政治学科卒業[1][2]。同年鹿児島県立加治木中学校 (旧制)教諭となる[2][4]1951年文部省に入省し[2]、調査普及局地方連絡課勤務[4]。以降文部省で初等中等教育局地方課長(1960年)、社会教育局長(1970年)、管理局長(1974年)、初等中等教育局長(1975年)、文化庁次長、学術国際局長(1976年)を歴任[2][4]1980年に、当時郷里の隣隼人町に所在した鹿児島女子大学(現・志學館大学)の学長に就任し[4]1982年まで務めた[2]1983年東邦生命保険顧問[4]1990年8月1日鹿屋体育大学第3代学長に就任し1996年7月31日まで務める[3][2]。1996年、勲二等瑞宝章[2]。主な著書に『教育行政の基礎知識と法律問題』『社会教育行政入門』『社会教育関係会議のもち方』『魂のバトンタッチ』『ムダの効用』がある[1][4]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『現代日本執筆者大事典 第1巻』(日外アソシエーツ、1978年)344頁
  2. ^ a b c d e f g h i j 『現代物故者事典 2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)「今村武俊」
  3. ^ a b 鹿屋体育大学沿革・歴代学長・名誉教授 2020年3月1日閲覧
  4. ^ a b c d e f g 『鹿児島県風土記』(芳即正 塚田公彦 監修、旺文社、1995年)481-507頁「鹿児島県人国記 平成七年八月現在」
  5. ^ a b 鹿児島県立甲南高等学校創立百周年記念事業同窓会実行委員会『樟風遙か』(2006年)53-55頁
  6. ^ 南日本新聞社・編『郷土人系 上』(春苑堂書店、1969年)160頁