今泉吉貞
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今泉 吉貞 | |
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生誕 |
1886年3月25日 日本 福島県 |
死没 | 1981年1月21日(94歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1938年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
今泉 吉貞(いまいずみ よしさだ、1886年(明治19年)3月25日[1] - 1981年(昭和56年)1月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]福島県出身[1]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第34期卒業[1]。1924年(大正13年)9月時点で歩兵第29連隊附参謀本部附勤務の任にあり[2]、1925年(大正14年)3月18日に第19師団参謀に転じ[3]、5月1日に陸軍歩兵少佐に進級した[3]。1928年(昭和3年)3月に歩兵第21連隊大隊長に転じ[4]、1929年(昭和4年)8月、陸軍歩兵中佐進級と同時に近衛歩兵第4連隊附となり[5]、法政大学に配属された[5]。
1934年(昭和9年)8月1日、陸軍歩兵大佐進級と同時に新発田連隊区司令官に着任した[6]。1936年(昭和11年)3月に歩兵第74連隊長(第19師団・歩兵第37旅団[7][8])に転じ[1]、1938年(昭和13年)3月1日に陸軍少将進級と同時に待命となり[1][6]、3月25日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、咸興陸軍兵事部長兼咸興地区司令官に就任した[9]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 福川 2001, 101頁.
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調314頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調236頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調210頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調168頁
- ^ a b 外山 1981, 267頁.
- ^ 外山・森松 1987, 400頁.
- ^ 外山・森松 1987, 401頁.
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。