近衛歩兵第4連隊
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近衛歩兵第4連隊 | |
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創設 | 1886年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 東京 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 宮3803 |
上級単位 | 近衛 - 近衛師団 - 近衛第2師団 |
最終位置 | スマトラ島 メダン |
戦歴 | 日清 - 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
近衛歩兵第4連隊(このえほへいだい4れんたい、近衛歩兵第四聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 5月24日 - 軍旗拝受
- 1891年(明治24年)12月 - 近衛師団創設
- 1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍
- 1899年(明治32年)3月31日 - 千葉県佐倉を29日に出発し東京市赤坂区青山に移転[1]。
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1940年(昭和15年)
- 6月 - 動員下令、漢口作戦などに参加する
- 1941年(昭和16年)
- 7月 - 仏印サンジャック湾に上陸、サイゴン(現 ホーチミン市)に駐屯
- 12月8日 - 太平洋戦争開戦、連隊主力は陸路でタイ王国へ進攻、第3大隊は海上機動しバンコクに進出、マレー作戦を開始
- 3月12日 - シンガポール港を出発し北部スマトラ島平定作戦に従事、その後警備と防御陣地の構築をする
- 1945年(昭和20年)
- 8月15日 - 終戦
- 9月22日 - 軍旗奉焼
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 伏見宮貞愛親王 | 1887.4.28 - 1892.12.8 | 中佐、1887.11.大佐 |
2 | 高井敬義 | 1892.12.8 - | |
3 | 内藤正明 | 1895.2.16 - 1897.9.28 | |
4 | 一戸兵衛 | 1897.10.11 - | |
5 | 谷田文衛 | 1898.10.1 - 1899.3.13 | |
6 | 山田保永 | 1899.3.13 - 1900.3.29 | |
7 | 梅沢道治 | 1900.3.29 - | |
8 | 飯田英三 | 1904.7.5 - 1909.11.30 | 中佐、1905.4.大佐 |
9 | 高橋義章 | 1909.11.30 - 1911.9.6 | |
10 | 若見虎治 | 1911.9.6 - 1912.12.17 | |
11 | 武藤信義 | 1912.12.17 - 1915.4.10 | |
12 | 両角三郎 | 1915.4.10 - 1916.8.18 | |
13 | 黒田善治 | 1916.8.18 - | |
14 | 千田嘉平 | 1918.7.24 - | |
15 | 青山寛 | 1920.8.10 - | |
16 | 三宅光治 | 1924.2.4 - | |
17 | 小林道生 | 1926.3.2 - | |
18 | 大浜石太郎 | 1928.3.8 - | |
19 | 川岸文三郎 | 1929.8.1 - | |
20 | 小野弘毅 | 1931.8.1 - 1932.8.8[2] | |
21 | 伊丹政吉 | 1932.8.8 - | |
22 | 志岐豊 | 1933.3.18 - | |
23 | 飯田祥二郎 | 1934.8.1 - 1935.8.1[3] | |
24 | 原田熊吉 | 1935.8.1[3] - | |
25 | 丸山政男 | 1937.8.2 - | |
26 | 原守 | 1938.7.15 - | |
27 | 松崎直人 | 1939.3.9 - | |
28 | 正木宣儀 | 1941.3.1 - | |
29 | 国司憲太郎 | 1942.1.2 - | |
末 | 上妻慶加 | 1944.3.1 - |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)
- 原 剛『明治期国土防衛史』(錦正社、2002年)
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』