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今津禮二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今津禮二郎
いまづ れいじろう
生年月日 (1934-01-25) 1934年1月25日(90歳)
出生地 日本の旗 日本 香川県
出身校 観音寺市立観音寺中学校卒業
前職 会社経営

当選回数 2回
在任期間 1991年 - 1991年
1991年6月30日 - 1995年
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今津 禮二郎(礼二郎、いまづ れいじろう、1934年〈昭和9年〉1月25日[1] - )は、日本政治家実業家。元香川県観音寺市長。

経歴

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香川県出身[1]観音寺市立観音寺中学校卒業[1]

アイスクリーム販売を経て、1958年(昭和33年)ちぬや乳業を設立、1965年(昭和40年)ちぬや食品と改める[1]1980年(昭和55年)新工場建設による資金繰り悪化により倒産[1]

1987年観音寺市長選挙

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1987年(昭和62年)1月の観音寺市長選挙に立候補したが、この時は現職の加藤義和に敗れて落選した[2][3]


※当日有権者数:-人 最終投票率:69.46%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
加藤義和51無所属12,185票53.7%-
今津禮二郎52無所属10,497票46.3%-

同年4月、香川県議会議員選挙に立候補[1]するが、落選[4]

1991年観音寺市長選挙(1回目)

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1991年(平成3年)1月の観音寺市長選挙に立候補して、前回敗れた加藤を破って初当選を果たした[5]


※当日有権者数:-人 最終投票率:72.53%(前回比:増加 3.07pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
今津禮二郎56無所属12,954票53.4%-
加藤義和55-11,286票46.6%-

1991年観音寺市長選挙(2回目)

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同年4月2日、長期に渡って納税義務を怠ったことと、議会軽視を理由に不信任決議が可決された[6][7]。しかし、この時は議会を解散した[7]。その後、再び不信任案が上程されて可決された[7]。その後6月30日に実施された市長選では、前市議、元助役、元県議の新人3人との争いになったが、これを破って再選を果たした[8]


※当日有権者数:-人 最終投票率:79.68%(前回比:増加 7.15pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
今津禮二郎57無所属9,544票35.6%-
石川義行48無所属8,328票31.1%-
井下恒雄58無所属5,337票19.9%-
横山幸夫68-3,589票13.4%-

1995年観音寺市長選挙

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3選を目指して立候補したが、前県議の白川晴司に敗れた[9]


※当日有権者数:-人 最終投票率:72.42%(前回比:減少 7.26pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
白川晴司49無所属16,854票68.1%-
今津禮二郎61無所属7,879票31.9%-

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f 日外アソシエーツ 1999, 58頁.
  2. ^ 香川県議会史 第5巻 31コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 香川県議会史 第5巻 32コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 『四国新聞』1987年4月13日1面。
  5. ^ 月刊社会党 (428) 93コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 平野 2019, 78頁.
  7. ^ a b c 市議会の活動に関する実態調査 平成4年度(平成3年1月1日~12月31日) (調査資料 ; 平成4-3) 62コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 月刊社会党 (432) 94コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 月刊社会党 (484) 89コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X 
  • 平野淳一「現職市長の任期途中の辞職・失職」『甲南法学』第59巻第1-2号、2019年、47-85頁。