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仏生山町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぶっしょうざんちょう
仏生山町
廃止日 1956年昭和31年)9月30日
廃止理由 編入合併
仏生山町香西町林村三谷村川添村前田村一宮村円座村下笠居村弦打村雌雄島村上笠居村川岡村多肥村檀紙村高松市
現在の自治体 高松市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 香川県
香川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 2.95 km2.
総人口 5,738
(1956年9月29日
隣接自治体 高松市香川町一宮村多肥村
町長 松下新太郎[1]
仏生山町役場
所在地 香川県香川郡仏生山町大字出作字下町45番地の6[2]
座標 北緯34度16分43秒 東経134度02分53秒 / 北緯34.2785度 東経134.048028度 / 34.2785; 134.048028座標: 北緯34度16分43秒 東経134度02分53秒 / 北緯34.2785度 東経134.048028度 / 34.2785; 134.048028
地図
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仏生山町(ぶっしょうざんちょう)は、香川県香川郡にあった。現在の高松市仏生山地区にあたる。

人口

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1920年(大正9年) 3,616人
1925年(大正14年) 3,883人
1930年(昭和5年) 4,256人
1935年(昭和10年) 4,229人
1940年(昭和15年) 4,124人
1947年(昭和22年) 6,090人
1950年(昭和25年) 5,932人
1955年(昭和30年) 5,738人
総務省統計局 / 国勢調査1955年

歴史

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法然寺の前身として1207年建永2年)小松庄生福寺が建てられ、それから461年後の1668年松平頼重が生福寺跡を仏生山来迎院法然寺として復興させ門前町としての歴史が始まる。この時寺の名前の冠文字からこの門前町を仏生山とした。その後仏生山を含むこの地域は百相村(自然村)と呼ばれるようになり、1890年明治23年)2月15日町村制施行時には隣接する出作村の一部と合併し、新百相村(行政村)が発足した。1898年(明治31年)2月11日には町制を施行、改称し、仏生山町となる。1926年大正15年)12月21日には琴平電鉄(現・ことでん琴平線)の開通に伴い仏生山駅が開業、1929年昭和4年)11月12日には塩江温泉鉄道が開通し、塩江線廃止まで始発駅として賑わう。1945年(昭和20年)の太平洋戦争での戦災も無く、その後1956年(昭和31年)9月30日に高松市に合併。

年表

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高松市編入以後は「仏生山」を参照

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 四国新聞社 編『香川年鑑』 昭和31年、四国新聞社、高松市、1955年12月15日。 NCID BB10788678OCLC 52393151 

関連項目

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