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仙川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙川
仙川 2008年8月撮影
小田急小田原線橋梁付近の仙川
(竜沢橋より撮影、世田谷区成城/
水系 一級水系 多摩川
種別 一級河川
延長 20.9 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 18.3 km2
水源 小金井市貫井北町
水源の標高 -- m
河口・合流先 野川世田谷区鎌田
流域 東京都
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仙川(せんかわ、せんがわ)は、東京都を流れる一級河川多摩川水系野川の支流である。

地理

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上流側(人工河川部)

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東京都小金井市貫井北町三丁目の新小金井街道直下が「上流端」と定められ、東京都による立札が設置されている[1]。ただし、この地点への雨水排除管があり、その流路は道路沿いにサレジオ小学校・中学校敷地内の庭園へ辿ることができる。

この上流端を含め、現在の上流部は河川整備によりコンクリート水路となっていて、晴天時水量はゼロに近いが、かつては畑と薮の中を延々と続く小渓谷を形成し、1960年代までは周囲に湧き水を見ることができたという。1947年の空中写真[2]でも、現在の情報通信研究機構本部近くの林地に及ぶ流路を確認できる。

小金井団地東端、稲穂神社付近に「築樋(つきどい)」と呼ばれる、江戸時代に作られた水路同士の立体交差箇所があり、昭和初期のある期間、小金井用水砂川用水深大寺用水分水路)から仙川へ水を一定量落としていた。これは、当時「死の水」と称されるほど劣悪となっていた仙川の水質を少しでも緩和するためだったといわれる。小金井用水も水は流れていないが、築樋の立体交差は見ることができ、説明板も立てられている。

源流域からおおむね東に向かい、公務員住宅の横を流れ、市街地(北大通り北側歩道と重複する箇所は暗渠)を曲がりながら武蔵野市に入る。亜細亜大学桜堤団地サンヴァリエ桜堤)敷地内の仙川緑地を経由しながら、流路を南に向きに変える。武蔵境駅の少し東でJR中央本線の下をくぐり、市街地(一部暗渠)を曲がりながら抜けてゆく。このあたりでもふだん水のない状態は変わらない。やがて東京都道12号調布田無線を越えて三鷹市に入る。上連雀から下連雀の街区に流路を形成。しばらくの間は住宅街を直線的に進むコンクリート溝渠が続く。水源の森あけぼのふれあい公園の箇所だけ例外的に河川まで降りることが可能だが、随時水流があるわけでは無い。一部は道路下を進む為、河川として連続性が無くなる。

下流側(天然河川部)

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三鷹市を上連雀の街区を越え、新川六丁目を過ぎ、野川宿橋の所から川幅が広がり、流れも自然な蛇行となる。ここで地下から汲み上げた水を放流する。ここが21世紀現在確立された最初の水源である(正確には地下水汲み上げ場所である新川天神山青少年広場付近にある樋口取水場)。少しずつ蛇行しながらおおむね南東方向に流れてゆき、調布市に入る。

少し下流で再び三鷹市の境界に触れるが、そこで三鷹市東部下水処理場の高度処理水が放流される。水量もある程度のものになったところで、住宅地の広がる緑ケ丘仙川町を抜け、国道20号旧甲州街道と交差し、世田谷区に入る。

京王電鉄京王線と交差し、両岸に祖師谷公園を見て通り抜け、成城に達して成城学園の横を流れる。小田急小田原線をくぐり、成城の東を流れ、世田谷通りと交差して大蔵住宅の横を流れ東名高速と交差する。世田谷区鎌田で北西から流れ来る野川合流する。

世田谷区岡本三丁目にはがあり、水浄化施設へと水が送り込まれる。ここで浄化された水はそのまま仙川下流に流されるほか、地下導水管により谷戸川谷沢川に送水している。

名称の由来

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現在の三鷹市にある「新川丸池公園」にかつて丸池という湧水池があった(現在の丸池は2000年に復元されたもの)。たくさん水が湧いていたことから「千釜(せんがま)」と呼ばれていた。この「千釜」という言葉が仙川の由来といわれている。また、流域に仙人が住んでいた伝説からという説もある。

災害史

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1966年(昭和41年)6月28日台風4号による豪雨により氾濫した。警視庁警備課調べで床下浸水28,352戸、床上浸水5,819戸を記録した。被害の影響から、警察・消防の救命ボートを用い付近の小学校に集団避難を行った[3]。これは1958年(昭和33年)9月の狩野川台風以来の被害規模だった。また、氾濫の影響で、世田谷区立烏山小学校の井戸水に汚水が混ざり濁った。その後、児童250人が下痢を訴えた。学校側は井戸水の飲用を禁じた上で水筒の持参を求めていたが、暑さにより隠れて飲んだ児童がいたと考えられている[4]

1982年(昭和57年)9月12日、台風18号によって内水が発生。祖師谷5丁目、6丁目では13件の床下浸水、鎌田4丁目で1件の床上浸水を記録した[5]

2005年(平成17年)9月4日台風14号が刺激した前線により、集中豪雨が発生し、氾濫(合流先の野川も氾濫)した[6]鎌田で浸水家屋多数[7]

支流

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支流には河川法上の河川はない。遊歩道に名前と姿を残すものでは、世田谷区北烏山地区から流れる中川が存在する。

流域の自治体

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東京都
小金井市武蔵野市三鷹市調布市世田谷区

橋梁

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ 「東京の浸水三万戸 八区三町に災害救助法」『毎日新聞』1966年6月29日、第13版 朝刊。
  4. ^ 「浸水地域で集団下痢 小学校で二百五十人」『朝日新聞』1966年7月2日、12版。
  5. ^ 『世田谷区水害記録(昭和22年〜平成3年)』世田谷区建設部土木計画課、1992年4月、36頁。 
  6. ^ 台風第14号、前線”. 気象庁. 2024年9月29日閲覧。
  7. ^ 世田谷区浸水箇所一覧(令和元年-令和3年)”. 世田谷区 (2021年). 2024年8月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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