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伊万里市立大坪小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊万里市立大坪小学校
地図北緯33度16分37秒 東経129度53分16秒 / 北緯33.277056度 東経129.887806度 / 33.277056; 129.887806座標: 北緯33度16分37秒 東経129度53分16秒 / 北緯33.277056度 東経129.887806度 / 33.277056; 129.887806
過去の名称 町裏小学校
大坪尋常小学校
大坪尋常高等小学校
大坪尋常小学校(再)
大坪国民学校
伊万里町立大坪小学校
伊万里町立東部小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 伊万里市
設立年月日 1883年9月
共学・別学 男女共学
学校コード B141220500032 ウィキデータを編集
所在地 848-0021
佐賀県伊万里市大坪町甲2501番地3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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伊万里市立大坪小学校(いまりしりつおおつぼしょうがっこう)は佐賀県伊万里市中部にある市立小学校

概要

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歴史
1883年明治16年)に伊万里小学校町裏分教場が「町裏小学校」として独立して開校。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1954年昭和29年)。1984年(昭和59年)には児童数の増加により、伊万里市立立花小学校を分離。2023年令和5年)には創立140周年を迎える。
校章
中央に校名の「大坪」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は片岡繁男、作曲は陶山聡による。歌い出しは「暁の空 さわやかに」。歌詞は3番まであり、各番に校名の「大坪小学校」が登場する。
通学区域
住所表記で伊万里市の後に「上古賀、下古賀、みどりが丘、六仙寺、祇園町、柳井町、白野、あさひが丘、永山、屋敷野、東円、西円、中井樋、栄町、つつじヶ丘」が続く地域[1]
中学校区は伊万里市立伊万里中学校

沿革

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  • 1883年明治16年) 9月 - 伊万里小学校町裏分教場が「町裏小学校」として分離・独立。
  • 1884年(明治17年)- 古賀、屋敷野が校区に加わる。
  • 1888年(明治21年)- 屋敷野分教場を設置[2]
  • 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、大坪村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)
  • 1894年(明治27年)3月 - 木造新校舎が完成(現・伊万里市大坪公民館敷地)。この時に作られたレンガ造りの校門(赤門)は現在も残っている。
  • 1907年(明治40年)- 小学校令の改正により、義務教育の年限(尋常科の年限)が4年から6年に延長される。これにより、尋常科5・6年が新設される。
  • 1924年(大正3年)4月 - 伊万里高等小学校を運営していた町村組合が解散。これに伴い、高等科を併置し、「大坪尋常高等小学校」に改称。
  • 1832年(昭和7年)4月 - 高等科を廃止し、「大坪尋常小学校」(再)となる。
    • 尋常科を修了し、高等科への進学を希望する者は、伊万里町外二カ村組合立伊万里公民学校[4]に通うこととなった。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「大坪国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年)。
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月 - 高等科(2年制)が設置される[5]
    • 12月 - 大坪村が伊万里町に編入。伊万里町立となる。
  • 1944年(昭和19年)- 北側の丘陵地に新校舎が完成。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)に伴い、国民学校初等科が「伊万里町立大坪小学校」に改組・改称。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 「伊万里町立東部小学校」に改称。
  • 1953年(昭和28年)- 現在地に新校舎が完成し、移転を完了。
    • 旧校舎は1954年(昭和29年)4月から1973年(昭和48年)までの19年間、伊万里市役所庁舎として使用された[6]
  • 1954年(昭和29年)4月 - 9町村の対等合併により伊万里市が市制施行。「伊万里市立大坪小学校」(現校名)に改称。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 伊万里市で初めて特殊学級を開設。
  • 1972年(昭和47年)4月 - ことばの教室を設置。
  • 1974年(昭和49年)4月 - 校区に「栄町」が加わり、児童数が急増する。
  • 1976年(昭和51年)- 8教室のプレハブ校舎を仮設。
  • 1981年(昭和56年)- 大坪第二小学校(仮称)の分離・新設が決定する。
  • 1984年(昭和59年)4月 - 児童数の増加により、伊万里市立立花小学校が分離・新設される。
    • 分離する直前の児童数は約1,300人であった。

参考資料

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  • 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.343 - p.348

脚注

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  1. ^ 小学校一覧 - 伊万里市ウェブサイト
  2. ^ 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.347に「旧・伊万里市史には屋敷野分教場の設置は1884年(明治17年)、学校沿革には1888年(明治21年)」と記載がある。
  3. ^ 牧島村、大坪村、大川内村二里村の4村。
  4. ^ 青年訓練所充当実業補習学校1935年(昭和10年)からは青年学校
  5. ^ 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p. 219
  6. ^ 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.106, p.347

関連項目

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外部リンク

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