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伊勢銀座新道商店街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊勢銀座新道商店街の内部

伊勢銀座新道商店街(いせぎんざしんみちしょうてんがい)は、三重県伊勢市にあるアーケード商店街。愛称はしんみち。江戸時代に整備された新道通(しんみちどおり)に沿って形成された商店街で、戦前歓楽街であった[1]

伊勢市の中心市街地である山田の中央部に位置する伊勢市第一の商店街である[1]

概要

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伊勢銀座新道商店街周辺の空中写真。黄色のラインで囲んだ範囲が伊勢銀座新道商店街。旧国道23号線(4車線の道路)の北側に平行して形成されている。伊勢市駅は画像右下方向の枠外にある。1983年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

伊勢市宮後(みやじり)一丁目から大世古二丁目まで、東西方向に伸びる総延長570mの商店街で[2]、伊勢市最長の商店街である[3]。東から順に新道一番街、新道二番街、新道三番街と分けることがある[2]

伊勢市駅からは500mほど離れている[4]。店舗は2013年(平成25年)現在69軒あるが、最盛期には130軒存在した[5]。食料品や呉服雑貨を扱う商店が多い[6]。大型店が中心市街地から撤退したことや、まちなかの活気を取り戻すためには食料品店が必要であると伊勢銀座新道商店街振興組合は考えている[7]。2020年(令和2年)2月現在の伊勢銀座新道商店街振興組合理事長は河村武彦が務めている[5]

歴史

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宇治山田空襲後の新道地区(宇治山田市大世古町)

伊勢銀座新道商店街のある新道通は、大世古町の薬商であった松原清兵衛が山田西部と二見街道を結ぶために、既設道路に加えて延長131間5尺5寸(≒239.8m)、幅2間(≒3.6m)の道路を新設することを文政10年(1827年)に提案し、山田の住民の協力を得て同年末に完成したものである[1]。それ以前の寛政(1789年 - 1801年)初期に同じ目的で、山田奉行の野一色義恭が中川原(現・伊勢市宮川)から河崎に至る道路を建設する計画を立てたことがあったが、失敗している[2]。当時の伊勢の中心商店街は、伊勢参宮街道沿いの八日市場町・一志久保町(現・伊勢市一志町)にあった[6]

1897年(明治30年)に新道通の東端に参宮鉄道山田駅(現・JR伊勢市駅)が開業すると、駅と山田西部を結ぶ道路として人々の往来が増加し、伊勢参宮街道沿いの古市に代わる歓楽街・繁華街に成長した[8]。映画館の世界館も新道通の近くに位置していた[9]。当時の中心商店街は、伊勢参宮街道沿いから、伊勢高柳商店街や浦之橋商店街に移動した[6]

第二次世界大戦中の宇治山田空襲により被災した後、新道通は商店街として再生する[8]。伊勢市駅は交通の結節点として地位が確立し、伊勢市内外からの買い物客は伊勢市駅からの徒歩圏内に集約された[6]。商店街はアーケードや駐車場の整備、カラー舗道化など環境整備を進め、伊勢市で一番の商店街となった[8]。これに伴い高柳や浦之橋の商店街は旧来からの顧客に支えられた買い回り商店街へ変化し、伊勢参宮街道沿いの商店は、新道商店街へ移るものが少なくなかった[6]。1979年(昭和54年)時点で、新道商店街の地価は伊勢市駅前・宇治山田駅前に次いで伊勢市内で3番目に高い1(≒3.3m2)90万円であり、地理学者の脇田武光は「アーケード街のスマートな買物中心地」と評した[10]

しかし、伊勢市駅前に大型店(三交百貨店ジャスコ伊勢店)が完成したことや郊外化が進んだことにより、伊勢銀座新道商店街の地位は低下していった[8]。以降新道商店街では、さまざまな活性化の活動に取り組んでいる。2013年(平成25年)は第62回神宮式年遷宮おはらい町おかげ横丁外宮参道が賑った一方で、伊勢銀座新道商店街は恩恵を受けておらず、閑散とした状況である[5]

活性化への取り組み

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三重県立伊勢高等学校美術部によるシャッターアート

2003年(平成15年)3月23日にタウンマネージメント機関の一環で、閉館した世界館を利用して、伊勢銀座新道商店街振興組合の運営による4つの食料品店が出店する「さくら市場」を開設した[7]。同年、空き店舗を利用したチャレンジショップを設け、出店を呼び掛けたところ、銀粘土アクセサリーの教室と販売を行う事業所が出店し、20代から30代の若い客が商店街に来るようになった[11]

2011年(平成23年)9月に、商店街のある宮後に滞在したこともある松尾芭蕉が伊勢を読んだ俳句22句(宇治5句、山田15句、二見2句)をプレートとしてアーケードの柱に掲げ、観光客の誘致を目指す活動を行った[12]。製作費は伊勢商工会議所補助金を活用した[12]

2013年(平成25年)11月17日には、皇學館大学のサークルとの共催でビブリオバトルを商店街内で開催した[13]

伊勢の夜祭

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伊勢の夜祭は伊勢銀座新道商店街で開かれる催しであり、2013年(平成25年)で第13回を迎える[14]縁日や物産展、大学生によるイベントなどが行われる[14]

2013年の第13回は、式年遷宮に合わせてミニ奉曳車やお白石などの遷宮行事に関連した展示や、子供木遣りの披露が行われた[14]

ロケ地

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伊勢銀座新道商店街では以下の作品のロケーション撮影が行われた。

脚注

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  1. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):608 - 609ページ
  2. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):608ページ
  3. ^ やっちー&そうちん探検隊. “伊勢の夜店編”. 三重まちづくり応援プロジェクト. 三重大学教育学部附属教育実践総合センター. 2014年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月3日閲覧。
  4. ^ 脇田(1983):496ページ
  5. ^ a b c 谷口拓未 (2013年10月24日). “選挙:伊勢市長選 27日投開票 「ポスト遷宮」争点に 参拝者増えても商店街閑散”. 2014年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e 青野・尾留川 編(1976):366ページ
  7. ^ a b 中谷(2003):13ページ
  8. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):609ページ
  9. ^ 久保(1996):55 - 56ページ
  10. ^ 脇田(1983):496, 498ページ
  11. ^ チャレンジショップを商店街主体に決定するなど商店街とともに実施!”. 商店街にぎわいPLAZA. 全国商店街振興組合連合会. 2004年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月3日閲覧。
  12. ^ a b 渡辺大地"芭蕉の22句誘客 伊勢銀座新道商店街 伊勢など詠む プレート登場 「文化の薫りを」"中日新聞2011年9月9日付朝刊、伊勢志摩版18ページ
  13. ^ 皇學館大学"商店街ビブリオバトル - 皇學館大学"(2014年2月4日閲覧。)
  14. ^ a b c 三重県雇用経済部サービス産業振興課. “伊勢銀座新道商店街にて、『第13回伊勢の夜祭』が開催されます!”. 三重県庁. 2014年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月3日閲覧。
  15. ^ 伊勢志摩フィルムコミッション"伊勢志摩フィルムコミッション|過去のロケ情報"(2014年2月3日閲覧。)
  16. ^ 中日新聞2010年3月28日付朝刊三紀17ページ

参考文献

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  • 青野壽郎尾留川正平 編『日本地誌 第13巻 近畿地方総論 三重県・滋賀県・奈良県』二宮書店、1976年8月15日、689p.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643p.
  • 久保仁『三重県の劇場史 興亡の三百七十余年』三重県郷土資料叢書第106集、三重県郷土資料刊行会、平成8年3月18日、230p.
  • 中谷 泰(2003)"テナントミックス事業で街に賑いを〜伊勢銀座新道商店街〜"みえねっと(三重県産業支援センター・三重県中小企業団体中央会).33:13.
  • 脇田武光(1983)"伊勢市における商店街の地価と機能分化"大塚・筑波人文地理学研究会 編『高度成長期の地域変容』(古今書院、1983年3月25日、884p. ISBN 4-7722-1066-0):494-509.

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯34度29分40.7秒 東経136度42分18.0秒 / 北緯34.494639度 東経136.705000度 / 34.494639; 136.705000