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伊是名城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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伊是名城
沖縄県
サトウキビ畑ごしに見た伊是名城
サトウキビ畑ごしに見た伊是名城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 鮫川大主?
築城年 14世紀頃?
廃城年 不明
遺構 曲輪、城壁
指定文化財 県指定史跡
位置 北緯26度54分52.41秒 東経127度57分6.9秒 / 北緯26.9145583度 東経127.951917度 / 26.9145583; 127.951917 (伊是名城)座標: 北緯26度54分52.41秒 東経127度57分6.9秒 / 北緯26.9145583度 東経127.951917度 / 26.9145583; 127.951917 (伊是名城)
地図
伊是名城の位置(南西諸島内)
伊是名城
伊是名城
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伊是名城(いぜなぐすく)は、伊是名島沖縄県伊是名村)の東南にそびえるグスクである。沖縄県指定史跡[1]

概要

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1429年に三山統一により琉球王国を成立させた第一尚氏王統の二代尚巴志王の祖父・鮫川大主(さめかわうふぬし)が築城したといわれる。標高は約98メートル。

北の中腹から麓にかけ、第二尚氏王統初代尚円王の父・尚稷と母・瑞雲の墓として建立された伊是名玉陵(伊是名玉御殿、いぜなたまうどぅん、北緯26度54分56.07秒 東経127度57分5.8秒)があり、現在も尚氏後裔の墓として維持されている。

貝殻、青磁器、陶器が多く出土する。高麗青磁器片も出土している。

歴史

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伝説であるが、屋蔵大主尚思紹の祖父と伝わる)は伊平屋出身で、伊是名島を治めていた当時、子の鮫川大主(佐銘川大主)をしてこの城を築かせたと伝わる。

また、今帰仁城北山の軍勢がこの城を攻めるも屈せず、撤退したと言う(『伊平屋島旧記』)。

脚注

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参考文献

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  • 『ぐすく グスク分布調査報告(I) - 沖縄本島及び周辺離島-』(1983年)沖縄教育委員会、沖縄県文化財調査報告書第53集

関連項目

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外部リンク

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