コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊是名村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いぜなそん ウィキデータを編集
伊是名村
伊是名村旗 伊是名村章
伊是名村旗 伊是名村章
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 沖縄県
島尻郡
市町村コード 47360-0
法人番号 5000020473600 ウィキデータを編集
面積 15.43km2
総人口 1,192[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 77.3人/km2
隣接自治体 なし
村の木 ウバメガシ
村の花 トウサツキ
伊是名村役場
村長 奥間守
所在地 905-0603
沖縄県伊是名村字仲田1687番地22(新庁舎)
北緯26度55分42秒 東経127度56分28秒 / 北緯26.92833度 東経127.94122度 / 26.92833; 127.94122座標: 北緯26度55分42秒 東経127度56分28秒 / 北緯26.92833度 東経127.94122度 / 26.92833; 127.94122
地図
村役場位置
外部リンク 公式ウェブサイト

伊是名村位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

伊是名村(いぜなそん)は、沖縄県の北部、沖縄本島本部半島)の北方約35kmに位置する伊是名島とその周辺に位置する無人島で構成される[1]島尻郡に属す。

地理

[編集]

有人島の伊是名島と、その周囲の具志川島屋那覇島降神(うるがみ)島無人島からなる[2]

集落は、海岸沿いにあり、南に伊是名区、東に仲田区と諸見区、北に内花区、西に勢理客区がある[2]。なお、具志川島には明治時代以降に人が居住していたこともあるが無人島となっている[1]。内花は1942年(昭和17年)に諸見から分離した集落で散村形態であるが、他の伊是名、仲田、諸見、勢理客の集落は井然型村落形態である[1]。村の中心は仲田であり村役場などの官公署や各種事業所が立地している[1]

歴史

[編集]

琉球国王第二尚氏の始祖・尚円(金丸)の生まれた島として知られ、2015年には尚円生誕600周年祭が行われた。

沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴建物土器などがみつかっている。また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。

琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。この経緯から1896年(明治29年)に県内において郡制度が施行された際、かつての王府領や聖域も多い沖縄本島南部と同じ島尻郡に属され、現在に至る。

2008年(平成20年)度決算における実質公債費比率自治体財政健全化法における早期健全化基準を超過したため、翌年度より財政健全化団体となっている。人件費削減と船舶運航事業への繰出削減などにより総額4,600万円を捻出し、2011年(平成23年)度までに実質公債費比率が早期健全化基準を下回ることを目標としている。

2015年、新しいフェリーが就航した。

2021年(令和3年)10月から11月にかけて、福徳岡の場噴火で生じた軽石が沿岸部に漂着。フェリーが接岸できなくなり、ガソリンなどの生活物資が不足する影響が出た[3]

年表

[編集]
旧伊是名村役場庁舎
  • 1896年(明治29年)4月1日 -  沖繩縣ノ郡編制ニ關スル件(明治29年勅令第13号)により伊平屋村として島尻郡に編入。
  • 1939年(昭和14年)7月1日の分村許可司令により、伊平屋村の一部(伊是名・仲田・諸見・勢理客)が分立し伊是名村が成立[4][5]
  • 2023年(令和5年)10月10日 - 村役場庁舎が伊是名村字仲田1203番地から伊是名村字仲田1687番地22に移転[6]

変遷表

[編集]
伊是名村域の変遷表
間切制・郡制 明治41年4月1日 昭和14年7月1日 現在
伊平屋間切・

島尻郡

田名村 伊平屋村 伊平屋村 伊平屋村
我喜屋村
島尻村
野甫村
伊是名村 伊是名村として分立 伊是名村
仲田村
諸見村
勢理客村

人口

[編集]

伊平屋村と同じく1955年(昭和30年)に人口総数は最高となり、伊是名村では人口が5,689人を記録したが、その後は急激な人口減少が続いた[1]

伊是名村と全国の年齢別人口分布(2005年) 伊是名村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 伊是名村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
伊是名村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 3,279人
1975年(昭和50年) 2,286人
1980年(昭和55年) 2,144人
1985年(昭和60年) 2,003人
1990年(平成2年) 1,892人
1995年(平成7年) 1,895人
2000年(平成12年) 1,897人
2005年(平成17年) 1,762人
2010年(平成22年) 1,589人
2015年(平成27年) 1,517人
2020年(令和2年) 1,322人
総務省統計局 国勢調査より


地域

[編集]

字一覧

[編集]

以下の一覧は、全ての村民が生活している伊是名島のものである。なお、屋那覇島・具志川島・降神島の3島は無人島である。

元は村制前の4村を引き継いだ4字を置いていたが、のちに1字新設され、現在は5字を数える。

  • 伊是名(いぜな)
  • 諸見(しょみ)
  • 勢理客(じっちゃく)
  • 仲田(なかだ)
  • 内花(うちはな) - 1971年、諸見・勢理客の一部が独立。

通信

[編集]

施設名の後にある括弧書きは名である。

郵便

[編集]

村内の郵便番号は「905-06xx」である。集配業務は沖縄本島の今帰仁村にある今帰仁郵便局が行っている。

  • 日本郵便 伊是名郵便局(仲田) - 2013年10月現在、郵便窓口は土曜日(休日の場合を除く)も8:00~11:30に開設。

医療

[編集]

施設名の後にある括弧書きは名である。

  • 沖縄県立北部病院附属 伊是名診療所(仲田)
    • 時間外診療および医師不在時は伊是名村役場に連絡することとしている。
  • 民間救急ヘリコプター(ドクターヘリ)「MESHサポート
    • 村内の4箇所(内花、仲田、諸味)がランデブーポイントに指定されている[7]

交通

[編集]
村営フェリー「ニューいぜな」 - 屋我地島
伊是名村・仲田港
伊是名村・内花港

船舶

[編集]

1983年(昭和58年)に「フェリーいぜな」が就航したことで沖縄本島との時間距離が短縮された[1]

仲田港と本部半島の今帰仁村運天港の間を1日2往復する村営フェリーが事実上、島外との唯一の交通手段となっている。近接する伊平屋島との定期航路は存在しないが、野甫島との間には、北部の内花港から不定期の渡船が運航している[8]

港湾

[編集]

飛行場

[編集]

伊是名場外離着陸場と沖縄本島など他の島を結ぶ定期航空路線は現存しない。

主な道路

[編集]

名所・旧跡

[編集]
伊是名玉陵
サトウキビ畑ごしに見た伊是名城
みほそ所(尚円王生誕の地)

主な出身者

[編集]

脚注・出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 堂前亮平「伊平屋・伊是名 : その地理的概況」『地域研究シリーズ』第5巻、沖縄国際大学南島文化研究所、1984年3月、3-13頁。 
  2. ^ a b 第5次伊是名村総合計画 第2期伊是名村総合戦略”. 伊是名村. 2024年9月4日閲覧。
  3. ^ 軽石漂着が住民の生活直撃 ガソリン運べず給油制限も”. 沖縄テレビ (2021年11月10日). 2021年11月10日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』、角川書店、1986年 ISBN 4040014707より
  5. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
  6. ^ 広報いぜな 令和5年10月号 (PDF)」伊是名村。2024年8月24日閲覧
  7. ^ ランデブーポイント一覧 - MESHサポート(2011年8月時点、2013年1月25日閲覧)
  8. ^ 野甫島からの連絡船(島の散歩)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]