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嘉手納町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かでなちょう ウィキデータを編集
嘉手納町
沖縄防衛局・ロータリープラザ
嘉手納町旗 嘉手納町章
嘉手納町旗
1985年7月1日制定
嘉手納町章
1973年5月17日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 沖縄県
中頭郡
市町村コード 47325-1
法人番号 7000020473251 ウィキデータを編集
面積 15.12km2
総人口 12,979[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 858人/km2
隣接自治体 沖縄市中頭郡北谷町読谷村
町の木 クロキ
(1982年8月5日制定)
町の花 ハイビスカス
(1982年8月5日制定)
嘉手納町役場
町長 當山宏
所在地 904-0203
沖縄県中頭郡嘉手納町嘉手納588番地
北緯26度21分42秒 東経127度45分19秒 / 北緯26.36156度 東経127.75525度 / 26.36156; 127.75525座標: 北緯26度21分42秒 東経127度45分19秒 / 北緯26.36156度 東経127.75525度 / 26.36156; 127.75525
地図
町役場位置

嘉手納町役所
外部リンク 公式ウェブサイト

嘉手納町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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嘉手納町(かでなちょう、沖縄語: カディナー[1])は、沖縄県中頭郡

戦前、県営鉄道嘉手納線の終着駅嘉手納駅が置かれ、県立二中県立農林学校もあった。比謝川河口の港は山原船による物資の集積地となり中部の交通の要所として栄えた。もともとは北谷村の一つの字であったが、戦後、米空軍嘉手納基地によって大きく地理的に分断されたため、1948年12月4日、北谷村から分村し嘉手納村となった[2]。現在も嘉手納町の面積82%が米軍基地に占有されている[3]

地理

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沖縄本島の中部に位置し、西側で東シナ海に面している。町の中央部から南側の町域は嘉手納基地陸軍貯油施設、また北側は嘉手納弾薬庫地区に挟まれ、町の総面積の82%が米軍基地であるため、残りの18%、町域中央部の嘉手納基地と比謝川の間の面積2.6km2の一帯が13,300人以上の住民が暮らす市街地・住宅地となる。これらの米軍基地を除いた場合、町として日本で最も人口密度が高い福岡県志免町を上回る。

沖縄戦時に、米軍の工兵隊が建設した嘉手納ロータリーは直径160メートルの環状路と各方面への道路で構成される大規模なロータリー交差点で、町のシンボルとなっていたが、2000年代から進められた再開発に伴い、ロータリー南西の嘉手納町役場と環状路内部の地区をつなぐため、環状路の南側約1/4が撤去されロータリー交差点ではなくなり、通称としてのみ「ロータリー」の呼称が用いられる[注釈 1]

隣接する自治体

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地域

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元は村制前の4村を引き継いだ4字を置いていたが、のちに5字新設され、現在は9字を数える。

  • 嘉手納(かでな)
  • 野国(のぐに)
  • 野里(のざと)
  • 屋良(やら)

以下は1951年頃に新設された字である。

  • 兼久(かねく):野国の一部が独立
  • 久得(くどく):屋良の一部が独立
  • 国直(くになお):野里の一部が独立
  • 東(ひがし):屋良の一部が独立
  • 水釜(みずがま):嘉手納の一部が独立

以下は平成以後に住居表示により新設された町である。

  • 水釜6丁目(年不詳)
  • 屋良1丁目(2010年


上記とは別に行政区も設置されている。

  • 北区
  • 東区
  • 西区
  • 南区
  • 中央区
  • 西浜区

河川

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人口

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嘉手納町と全国の年齢別人口分布(2005年) 嘉手納町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 嘉手納町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
嘉手納町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,820人
1975年(昭和50年) 14,067人
1980年(昭和55年) 14,094人
1985年(昭和60年) 14,126人
1990年(平成2年) 13,865人
1995年(平成7年) 13,752人
2000年(平成12年) 13,661人
2005年(平成17年) 13,629人
2010年(平成22年) 13,827人
2015年(平成27年) 13,685人
2020年(令和2年) 13,521人
総務省統計局 国勢調査より


歴史

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嘉手納ロータリーと嘉手納飛行場(1945年8月)
  • 沖縄での最古の土器文化が確認されている野国貝塚がある他、嘉手納貝塚からは貝塚時代前期(縄文時代後期)の土器、屋良城跡からは謎の遺物といわれる線刻石版がみつかっている[2]
  • 1944年4月 - 日本陸軍中飛行場(屋良飛行場)を建設[4]
  • 1945年4月1日 - 沖縄戦で沖縄島における最初の上陸地点となった。住民は民間人収容所に収容され、一帯は米軍の拠点となる[5]
  • 1948年12月4日 - 嘉手納飛行内の通行が禁止され、北谷村は完全に北と南に大きく分断された。北谷村役場に行くために遠く沖縄市まで迂回しなければならなくなったため、北谷村より分村し「嘉手納村」が誕生した[2]
  • 1976年(昭和51年)1月1日 - 町制施行[6]。中頭郡では初の町となる。
  • 2008年 - 新町・ロータリー地区第二種市街地再開発事業完工。

行政

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歴代町長

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特記なき場合『統計かでな 平成29年版』による[7]

氏名 就任 退任 備考
嘉手納村長(米軍統治下)
奥間敏雄 昭和24年1月3日 昭和28年1月18日
2 喜友名朝順 昭和28年1月19日 昭和32年1月18日
3 喜友名朝誓 昭和32年1月19日 昭和36年1月18日
4 伊礼春昌 昭和36年1月19日 昭和39年7月19日
5 奥間敏雄 昭和39年9月6日 昭和43年9月5日
6 古謝得善 昭和43年9月6日 昭和47年9月5日
嘉手納村長(公選)
7 古謝得善 昭和47年9月6日 昭和50年12月31日
嘉手納町長(公選)
初-2 古謝得善 昭和51年1月1日 昭和54年1月7日
3-5 吉浜朝永 昭和54年2月20日 平成3年2月17日
6-10 宮城篤実 平成3年2月18日 平成23年2月17日
11- 當山宏 平成23年2月18日 現職

文化・芸能

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エイサー
  • 北区青年会(現在休止中)
  • 北区子ども会
  • 西区青年会
  • 東区こども会
  • 南区青年会
  • 中央区青年会
  • 西浜区青年会
  • 千原エイサー保存会(千原郷友会)千原郷友会HP

スポーツ

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少年野球チーム
プロレス団体

国の行政機関

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防衛省
出入国在留管理庁

警察

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郵便

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教育

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小学校

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中学校

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高等学校

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学校教育以外の教育施設

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  • 嘉手納町立嘉手納外語塾

米軍基地

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現在も嘉手納町の面積82%が米軍基地に占有されている[3]。嘉手納町における民間地は18%。

嘉手納町にある米軍基地 面積 うち嘉手納町
6022 嘉手納弾薬庫地区 26,585,000㎡ 3,479,000㎡
6037 嘉手納飛行場 19,855,000㎡ 8,790,000㎡
6076 陸軍貯油施設 1,277,000㎡ 134,000㎡

交通

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路線バス

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以下の路線がある。62番以外の各路線は琉球バス交通沖縄バスの共同運行で、嘉手納町中心部を除く全区間にわたって国道58号を通る(中心部では国道58号の西側の道路を通る)。62番は琉球バス交通の単独運行で、嘉手納以北は国道58号、嘉手納以東は県道74号経由。町内を通る全路線が旧嘉手納ロータリー付近の嘉手納バス停に停車する。

※BT=バスターミナル
番号 路線名 運行会社 起点 終点 市町村 嘉手納町内の主な経由地
20 名護西線 琉球バス交通
沖縄バス
那覇BT 名護BT 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 - 恩納村 - 名護市 海浜公園前、嘉手納町役場前、嘉手納
120 名護西空港線 那覇空港
28 読谷(楚辺)線 那覇BT 読谷BT 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村
29 読谷(喜名)線
228 読谷おもろまち線 おもろまち駅
62 中部線 琉球バス交通 読谷BT 砂辺 読谷村 - 嘉手納町 - 沖縄市 - 北谷町 嘉手納、嘉手納町運動公園入口

1980年代までは謝苅線が嘉手納発着だったが、現在はうるま市具志川バスターミナル発着に変更された。

道路

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出身有名人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 東端:東経127度47分27秒 西端:東経127度44分28秒 北端:北緯26度20分9秒 南端:北緯26度24分14秒

出典

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  1. ^ 語彙詳細 — 首里・那覇方言”. ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp. 沖縄言語研究センター. 2020年2月23日閲覧。
  2. ^ a b c 嘉手納町の概要”. 嘉手納町. 2021年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
  3. ^ a b 沖縄県基地対策課「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」令和2年3月
  4. ^ 嘉手納町の概要 | 沖縄県嘉手納町(かでな町)”. web.archive.org (2021年2月9日). 2021年4月12日閲覧。
  5. ^ 総務省|一般戦災死没者の追悼|北谷町における戦災の状況(沖縄県)”. 総務省. 2021年4月12日閲覧。
  6. ^ 嘉手納町の歴史”. 嘉手納町. 2021年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
  7. ^ 統計かでな 平成29年版”. 嘉手納町. 2021年9月17日閲覧。
  8. ^ 石山永一郎「南沙織さん 生まれ島へメッセージ - 爆音の中で育った少女 デビュー40年」『沖縄タイムス』元旦号第4集第4面、沖縄タイムス社、2011年1月1日、2019年2月19日閲覧 

外部リンク

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