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宜野座村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぎのざそん ウィキデータを編集
宜野座村
宜野座村旗  宜野座村章
宜野座村旗 宜野座村章
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 沖縄県
国頭郡
市町村コード 47313-8
法人番号 5000020473138 ウィキデータを編集
面積 31.31km2
総人口 6,133[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 196人/km2
隣接自治体 名護市国頭郡金武町恩納村
村の木 リュウキュウマツ
村の花 ツツジ
村の鳥 メジロ
宜野座村役場
村長 當眞淳
所在地 904-1392
沖縄県国頭郡宜野座村字宜野座296番地
北緯26度28分54秒 東経127度58分32秒 / 北緯26.48161度 東経127.97564度 / 26.48161; 127.97564座標: 北緯26度28分54秒 東経127度58分32秒 / 北緯26.48161度 東経127.97564度 / 26.48161; 127.97564
宜野座村役所
地図
村役場位置
外部リンク 公式ウェブサイト

宜野座村位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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漢那ダム下流
宜野座村営野球場

宜野座村(ぎのざそん)は、沖縄県国頭郡にある。太平洋に面し、阪神タイガース一軍のキャンプ地となっている。

地理

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隣接する自治体

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人口

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宜野座村と全国の年齢別人口分布(2005年) 宜野座村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 宜野座村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
宜野座村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 3,566人
1975年(昭和50年) 3,819人
1980年(昭和55年) 4,022人
1985年(昭和60年) 4,414人
1990年(平成2年) 4,630人
1995年(平成7年) 4,651人
2000年(平成12年) 4,749人
2005年(平成17年) 5,042人
2010年(平成22年) 5,331人
2015年(平成27年) 5,597人
2020年(令和2年) 5,833人
総務省統計局 国勢調査より


歴史

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琉球王朝時代(1649年)の『絵図郷村帳』に古知屋 (現:松田)・ 宜野座・惣慶・漢那の4つの村があり、金武の間切のうちの「上四ケ」とも呼ばれた。

1945年(昭和20年)の沖縄戦で、この地は米軍が定めた多くの民間人収容所が連なり、ピーク時には約10万3千人の人口を擁した。

1946年4月1日、当時の金武村(現在の金武町)から古知屋、 宜野座、惣慶、漢那が分離し、宜野座村が誕生した。

地域

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4字に分かれるが、行政区は6区あり、住所表記にはない行政区が2区ある。

  • 漢那(かんな)
    • 城原(しろはら)
  • 宜野座(ぎのざ)
  • 惣慶(そけい)
    • 福山(ふくやま)
  • 松田(まつだ):1946年、古知屋より改称。

行政

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歴代村長[1]
- 名前 就任年月日 退任年月日
官選
初代 森山徳吉 1946年4月1日 1946年7月31日
2代 新里善助 1946年8月1日 1948年1月31日
公選
3代 新里銀三 1948年2月1日 1950年9月2日
4代 田端景俊 1950年9月3日 1952年11月20日
5・6・7代 浦崎康裕 1952年11月21日 1964年12月29日
8・9代 与儀実清 1964年12月30日 1972年12月29日
10・11代 末石森吉 1972年12月30日 1980年12月29日
12・13代 仲程實湧 1980年12月30日 1988年12月29日
14・15代 伊藝宏 1988年12月30日 1996年12月29日
16・17代 浦崎康克 1996年12月30日 2004年12月29日
18・19代 東肇 2004年12月30日 2012年12月29日
20・21・22代 當眞淳 2012年12月30日 現職

教育

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小中学校

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高等学校

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学校教育以外の施設

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交通

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路線バス

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一般路線バス
国道329号(村中心部では旧道区間、松田地区では国道外の集落内)を通る沖縄バスの一般路線2系統(22番・77番)が運行されている。22番はうるま市の中部病院が起点、77番は那覇バスターミナルが起点。宜野座村内全区間を含むうるま市安慶名と名護バスターミナルの間は両系統とも同一で、うるま市石川地区、金武町内、名護市辺野古、名護市中心部を経由する。
かつては久志線や名護東線(許田経由)も国道329号を通っていたが、久志線は1995年、名護東線は2008年にそれぞれ廃止され、現在は名護東線(辺野古経由)のみとなった。また2006年には名護こどもの国線も国道329号を通っていた。名護東線(許田経由)と名護こどもの国線は国道329号から県道71号を通って名護市へ向かうルートだったが、名護東線の廃止により県道71号(宜野座村潟原 - 名護市許田)を通るバス路線が消滅した。また同時に村内の琉球バス交通の一般路線バスがなくなった。
高速バス
宜野座ICを通る那覇 - 名護間の高速バス1系統(111番)が琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バスの4社で共同運行されている。2000年に宜野座ICに停留所が設置された。

※BT=バスターミナル

番号 路線名 運行区間 市町村 宜野座村内の主な経由地
22 名護〜うるま線 中部病院 - 名護BT うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 漢那、福山、宜野座高校、松田、潟原
77 名護東(辺野古)線 那覇BT - 名護BT 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市
111 高速バス 那覇空港 - 名護BT 那覇市 - 南風原町 - 西原町 - 宜野湾市 - 中城村 - 北中城村 - 沖縄市 - うるま市 - 金武町 - 宜野座村 - 名護市 宜野座IC

道路

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医療

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米軍基地

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宜野座村には、現在キャンプ・ハンセンキャンプ・ シュワブの米軍施設が所在しており、二つで米軍の広大な「中部訓練地域」(Central Training Area: CTA) を構成しており、宜野座村全体の面積の半分以上、約31.30㎢、約50.7% (15.863㎢)を占有している。訓練場の森林は住民の貴重な水源を提供する水源かん養林であり、なかでもキャンプ・ハンセン内にある漢那ダムは湖面共同使用(地位協定第2条4-b) となっており、水の安定的な供給に関する不安要因にもなっている[3]。また1952年から1975年まで字松田に米陸軍特殊部隊グリーンベレー)の訓練場、キャンプ・ハーディーが存在し、実際に核兵器を使った訓練も行われていた[4]。現在は返還され国際交流村として利用されている。

宜野座村の米軍基地
FAC6009 キャンプ・シュワブ C表参照
FAC6011 キャンプ・ハンセン C表参照
FAC6014 キャンプ・ハーディー 返還済み

経済

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姉妹町村

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出身有名人

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脚注

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  1. ^ 姉妹町 愛媛県内子町(うちこちょう)” (PDF). 宜野座村. 2021年5月3日閲覧。
  2. ^ 金武地区消防管内 Archived 2013年3月13日, at the Wayback Machine. NPO法人MESHサポート2011年9月27日現在
  3. ^ 宜野座村「宜野座村と米軍基地」(2021年)
  4. ^ Annie Jacobsen, Surprise, Kill, Vanish: The Secret History of CIA Paramilitary Armies, Operators, and Assassins, Little, Brown and Company; 2019/5/14 ISBN 978-0316441438

関連項目

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外部リンク

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