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伊木寿一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊木 壽一(いぎ ひさいち、明治16年(1883年3月3日 - 1970年11月28日[1])は、日本歴史学者。専門は日本古文書学。学位は、文学博士

経歴

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山口県大津郡三隈村(現在の山口県長門市)に山口県士族伊木尚義の長男として生まれる。山口中学校山口高等学校[2]を経て、1906年東京帝国大学文科大学史学科卒業[3]、同大学大学院に入学し古文書学を専攻した[4]1907年、東京帝国大学史料編纂掛嘱託となり、『大日本古文書』の伊達家文書相良家文書等の編纂に従事し[1]1908年から國學院大學にて、1911年から慶應義塾大学部にて講師として古文書学を講義した。1925年に史料編纂官となり[5]、『大日本史料』第9編の編纂を行い、1926年東北帝国大学法文学部講師を兼ねた。

1940年に「日本古文書学ノ研究」により慶應義塾大学から文学博士の学位を授与[6]され、1943年、東京帝国大学史料編纂官を定年退官した[1]

1947年聖心女子学院専門学校の講師に、1949年立正大学文学部講師を兼任し、以後歿年まで、その職とは別に、慶應義塾大学・明治大学宇都宮大学東京都立大学 (1949-2011)などに出講した。また、1954年から東京都文化財委員会の専門委員になる。1966年日本古文書学会創設に伴い、その初代会長に就任した[1]

筆跡鑑定にも見識があり、戦前は大審院控訴院から鑑定を求められ、戦後も帝銀事件などの事件を担当した[7]

歿後、勲三等が贈られた。

著書

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参考文献

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  • 高橋正彦河北展生「伊木寿一先生の訃」『史学』第43巻第4号、慶応義塾大学、1971年、649-654頁、NAID 110007410164 
  • 桃裕行「本会元幹事伊木寿一氏逝く」『歴史地理(日本歴史地理学会編)』第92巻第2号、1972年、58-59頁。 

脚注

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  1. ^ a b c d 桃裕行 1972
  2. ^ 山口高等学校一覧 自明治36年至明治37年』山口高等学校、1903年、154頁。 
  3. ^ 『東京帝国大学一覧 従明治39年至明治40年』東京帝国大学、1907年、p.207
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 従明治40年至明治41年』東京帝国大学、1907年12月23日、(23)頁。NDLJP:813183/227 
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 従大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、367頁。NDLJP:1448364/188 
  6. ^ 書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年5月17日閲覧。
  7. ^ 高橋正彦 & 河北展生 1972