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伊東祐春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伊東 祐春
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永12年(1635年
死没 宝永3年2月2日1706年3月16日
別名 通称:大助、主殿
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 日向伊東氏
父母 父:伊東祐久:不詳
兄弟 祐由祐春祐実
土岐頼泰(縫殿助)娘
祐崇祐連
娘(小出英陳[1]室)、
娘(一柳直長[2]室のち離婚、のち畠山基祐[3]室)
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伊東 祐春(いとう すけはる)は、江戸時代前期の武士江戸幕府旗本家格は表向御礼衆交代寄合日向国飫肥藩分家である表向御礼衆交代寄合の伊東氏の祖。

経歴

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伊東祐久の三男として誕生した。

明暦2年(1656年)8月15日、将軍徳川家綱に初お目見えした。翌明暦3年(1657年)12月27日、兄の祐由より那珂郡上東村、本郷北方村のうち3千石を分地され、江戸幕府の表向御礼衆交代寄合となり、飫肥城下に居住した。寛文3年(1663年)4月、私領地の視察を許可された。これ以降、私領視察は交代寄合伊東氏の慣例となった。

元禄13年(1700年)12月5日、隠居した。長男の祐崇は飫肥藩を継いだ祐春の弟の祐実の養子となったため[4]、当家の家督は次男の祐連が継承した。享年72。

脚注

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  1. ^ 丹波国園部藩小出英知の次男
  2. ^ 伊予国西条藩一柳直興の弟で分知5千2百石の一柳直照の孫。播磨国高木陣屋一柳家の当主。
  3. ^ 高家旗本5千石。畠山基玄の養子(甥)
  4. ^ 嗣子となったが、病弱を理由に廃嫡された。祐実の娘が一族を婿養子にして藩を相続した。

参考文献

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