伊澤平藏
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3代[1] 伊澤 平藏(いさわ[1] / いざわ[2] へいぞう、1838年(天保9年)12月[2] - 1911年(明治44年)3月19日[2])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・板橋。幼名・哲右衛門[1]。衆議院議員、貴族院議員伊澤平左衛門の父。
経歴
[編集]陸奥国宮城郡笠神村(現・宮城県多賀城市)に生まれる[1]。仙台に出て、醸造業伊澤平藏(2代目)の元で働き、平藏の娘を娶り婿養子となる[1]。1889年(明治22年)仙台市が施行されると市会議員となる[1][2]。同参事会員、宮城県会議員、仙台市長代理などを歴任する[1][2]。この間、仙台商業会議所の議員を発足時(1891年)から務め[1]、同副会頭(1899年)[1]、同会頭(1904年)に就任した[1][2]。
1906年(明治39年)に宮城県多額納税者として貴族院議員補欠選挙で互選され、同年9月29日[3]から1908年(明治41年)7月2日[4]まで務めた[1][2]。この他同年、七十七銀行頭取に迎えられた[1]。その後、健康を害し、事業を息子の平左衛門に任せた[1]。1911年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。