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伊藤優

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 優
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長野県松本市
生年月日 (1963-07-15) 1963年7月15日(61歳)
身長
体重
182 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト6位
初出場 1986年4月13日
最終出場 1990年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 優(いとう まさる、1963年7月15日 - )は、長野県松本市[1] 出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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南松ファイタース(リトルリーグ)、松本南シニアで投手として活躍。当時は右バッターであった。松本市立鎌田小学校ではソフトボールクラブ、鎌田中学校では軟式テニス部に所属していた。

信州工業高では3年春の北信越大会で3番手として登板するが6回コールドで敗退。社会人野球東芝府中へ入団[1]。東芝府中では1983年日本選手権の初戦で2番手として延長10回から登板したが優勝した住友金属に12回サヨナラ負け[1]。社会人通算34勝17敗[1]

1984年プロ野球ドラフト会議ロッテオリオンズから6位指名を受け、翌1985年シーズン終了後に入団[1]

ストレートカーブを主体とした投球で、プロ1年目の1986年から一軍登板を果たし、佐藤政夫と共に貴重な左腕中継ぎ要員として、またローテーションの谷間には先発もこなした。しかし、登板過多による左肩の故障のため1988年から登板機会が減少し成績も低迷。1991年オフに戦力外通告を受け現役を引退[1]

その後、巨人打撃投手を務め、2001年オフに退団した[1]。社会人の先輩にあたる落合博満とはロッテ、巨人で同僚であった。

選手としての特徴

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ドラフト指名時の評価は「荒れ球が決まれば、関東・社会人No.1サウスポー」といわれた。1986年、入団時のキャンプでは稲尾監督から「腕のしなりが非常に良いフォームだ」と高評価を受けていた。

球種はストレート、シュート、カーブ、スライダー、シンカー。ストレートは139キロ程度。決め球はタテに大きく割れるカーブで、内角胸元を突く制球力が武器だった。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1986 ロッテ 52 4 1 1 0 2 1 0 -- .667 303 72.2 56 6 34 2 1 50 0 0 27 24 2.97 1.24
1987 15 4 1 0 0 1 4 0 -- .200 175 42.0 38 5 16 0 4 20 2 1 18 18 3.86 1.29
1988 32 4 0 0 0 0 2 0 -- .000 186 38.0 52 8 22 0 2 33 2 0 38 34 8.05 1.95
1989 3 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 24 3.2 6 0 8 0 0 0 0 0 7 7 17.18 3.82
1990 11 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 64 13.2 17 2 5 0 1 7 0 0 12 8 5.27 1.61
通算:5年 113 16 2 1 0 3 9 0 -- .250 752 170.0 169 21 85 2 8 110 4 1 102 91 4.82 1.49

記録

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  • 初登板:1986年4月13日、対日本ハムファイターズ2回戦(後楽園球場)、7回裏1死より3番手で救援登板・完了、1回2/3無失点
  • 初先発登板:1986年8月14日、対南海ホークス18回戦(大阪球場)、1回2/3を2失点で敗戦投手
  • 初勝利・初先発勝利:1986年9月14日、対南海ホークス20回戦(川崎球場)、5回1/3を1失点
  • 初完投・初完封:1986年10月16日、対南海ホークス26回戦(川崎球場)

背番号

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  • 46 (1986年 - 1991年)
  • 111 (1992年 - 2001年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、56ページ

関連項目

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外部リンク

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