伊藤徳太郎
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伊藤 徳太郎(いとう とくたろう、1860年11月17日(万延元年10月5日[1]) - 1905年(明治38年)11月29日[2][3])は、明治時代の政治家、実業家。大地主。衆議院議員(6期)。
経歴
[編集]上総国武射郡小堤村[4](千葉県山武郡大総村、横芝町を経て現横芝光町)出身[1]。法学および経済学を修め代言人試験に合格する[1]。千葉県会議員、郡徴兵参事員、県常置委員、県徴兵参事員、地方衛生会員などを経て[1]、1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では千葉県第5区から自由党所属で出馬し当選[2]。衆議院議員を通算6期務めた[5][3]。実業界では千葉農工銀行、成田鉄道各取締役[2][3]、東海新報社長などを務めた[1]。1905年(明治38年)11月29日、腸チフスにより死去した[6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。