コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊藤鑛二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いとう こうじ
伊藤 鑛二
(伊藤 鐄二、伊藤 金黄二)
プロフィール
出身地 中華人民共和国の旗 中国 旅大市[注 1]
生年月日 1933年3月17日
没年月日 (2001-01-21) 2001年1月21日(67歳没)
最終学歴 南山大学文学部英文科卒業[1]
職歴 日本放送協会(NHK)、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)出向[3]NHK東京アナウンス室
活動期間 1955年[1][4] - 1988年
ジャンル 報道・情報・バラエティ
出演番組・活動
出演経歴 ニュースセンター9時
あなたのメロディー
ほか
備考
“金黄”…“金”編に“黄”で1文字。

伊藤 鑛二[注 2](いとう こうじ[注 3]1933年3月17日 - 2001年1月21日[注 4])は、日本アナウンサー[8]日本放送協会(NHK)チーフアナウンサー[9][注 5]

ではなく、金編に黄を組み合わせた文字(機種依存文字)を充てる場合もある[注 6]

来歴・人物

[編集]

満州国大連市[1](のちの中華人民共和国旅大市[1])出身。南山大学文学部英文科卒業[8][注 7]

1955年昭和30年)にNHKへ入局[注 8]。以来、アナウンサーとして活動。その間、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)への第6期派遣日本語アナウンス担当者として乗兼英史や民放在職の宇多光雄(毎日放送[注 9]とともに出向した[7]1971年にチーフアナウンサーへ就任[9]

NHKを退局し1988年4月、日本人のための2年制大学のCICカナダ国際大学理事に就任。大学での経営面を担当[8][注 10]

2001年(平成13年)1月21日午前11時37分、肝不全のため、東京都大田区の病院で死去[注 11]。67歳没[2][8]

過去の担当番組

[編集]

※特記なき限り、NHKの番組。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 参考[1]。「旧満州生まれ」とする資料もあり[2]
  2. ^ 参考:[3][5]の字は、を組み合わせたもので、音読みは「コウ」、訓読みは「あらがね」(鑛 - ウィクショナリー日本語版 も参照)。
  3. ^ 参考:[6][2][7]
  4. ^ 参考:
  5. ^ 参考:
    • 次の資料より、1988年4月現在の肩書に「元・NHKチーフアナウンサー」と記載[6]
  6. ^ 参考:[1][2][4][7]。旧字体・繁体字であるを組み合わせた[6][10][11] の場合もあり。
  7. ^ 学部・学科名は、1949年4月大学設立当時のもの(1963年4月より外国語学部英米科)[12]。次の資料より「南山大英米文卒」の記述あり[1]
  8. ^ 参考:[1][4][8]1957年(昭和32年)入局とする資料もある[2]
  9. ^ 毎日放送の社史より、1963年(昭和38年)12月22日から3年間、アメリカ合衆国大使館からの要請でVOAへアナウンサーとして出向したこと、民放アナウンサーとしては3代目であることが記載[13]。なお、次の資料では、民放の在職者として「宇田光雄」表記で紹介[7]
  10. ^ 参考:
    • 次の資料より、1988年4月現在の肩書として「カナディアン・インターナショナル・カレッジ理事」と記載[6]
  11. ^ 死亡日時・死因・死亡場所については、次の資料[2] を参照。
  12. ^ 参考:担当番組として『あなたのメロディー』と記載…[2][8]
  13. ^ 参考:担当番組として『ニュースセンター9時』と記載…[2][3][8]
  14. ^ 1974年度 - 1976年度[10]
  15. ^ 『週刊読売』1980年5月11日号掲載の名鑑より、"「ニュース」担当"と明記(" "内は、原資料より引用)[1]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 「1980年キャスターアナウンサー名鑑(上)」『週刊読売』、読売新聞社、1980年5月11日、37頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i 2001年1月分の訃報一覧(『nikkansports.com』。インターネットアーカイブ同2月4日付保存キャッシュ)より、一番下にある伊藤の訃報を参照。 ※「伊藤■二」表記(「いとう・こうじ」の読み仮名表記、訃報の末尾に「■は金へんに黄」との注釈あり)。
  3. ^ a b c カタカナ英語'の改善について - 『Act Naturally』2010年1月14日17時22分(文:FYコンサルティング株式会社 代表 安田文直)
  4. ^ a b c 『アナウンサーたちの70年』より、「NHKアナウンサー一覧」を参照(裏P17)。
  5. ^ 早稲田大学公式サイト内映像資料目録早稲田大学関係 一般 より、[わ行]→『わが青春の早稲田 〜OB23人による〜』のキャストを参照。ナレーションとして「ナ:伊藤鑛二(NHK)」とクレジット。
  6. ^ a b c d e 『日本著者名・人名典拠録』(1989年、日外アソシエーツ編・発行。コード: ISBN 9784816909023)P410「伊藤 鐄二」
  7. ^ a b c d 『アナウンサーたちの70年』第三章「親しまれる放送へ」の「標準語とアナウンスメント」節内小節「VOAへの派遣」(P165-P168掲載)より、VOAへの第6期派遣アナウンサーとして「伊藤■二」(■…金編に黄)の表記と「いとうこうじ」のルビ入りで明記(P168参照)。
  8. ^ a b c d e f g h i 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2000〜2002』日外アソシエーツ、2003年3月25日、61頁。ISBN 4-8169-1769-1 
  9. ^ a b NHKアナウンスセミナー(NHK出版 1985年)
  10. ^ a b c ニュースセンター9時 - 『アカイさんノート』(NHK公式サイト内ブログ)より、『ニュースセンター9時』の番組基礎情報を参照。「伊藤鐄二」表記でサブキャスターを務めていたことが明記。 ※リンク先は、インターネットアーカイブ2014年10月27日付保存キャッシュ
  11. ^ a b クイズ百点満点(1)テーマ編 | なつかしの番組 クイズ・バラエティー編 | 特集テーマから探す | NHKアーカイブス ※NHKアーカイブスブログ(2008年11月21日)より加筆、転載。リンク先は、インターネットアーカイブ203年2月10日付保存キャッシュ
  12. ^ 南山大学年表 - 南山大学公式サイトより
  13. ^ 『毎日放送の40年』(1991年、毎日放送発行)P137
  14. ^ a b c 『NHKクロニクル』より、番組検索結果詳細『教育テレビスペシャル テレビ評伝(1) 「福沢諭吉」』
  15. ^ a b NHKアーカイブス → 教育アーカイブス → 公開番組リスト(か行) より、『教育テレビスペシャル テレビ評伝(1)「福沢諭吉」』を参照。
  16. ^ クイズ百点満点 | なつかしの番組 クイズ・バラエティー編 | 特集記事から探す | NHKアーカイブス ※NHKアーカイブスブログ(2008年11月21日)より加筆、転載。

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

NHKクロニクルより、保存番組検索結果一覧

NHKクロニクルより、番組表検索結果一覧