伊達勝身
伊達 勝身 だて かつみ | |
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岩泉町役場にて(2016年9月16日) | |
生年月日 | 1943年8月26日(81歳) |
出生地 | 岩手県下閉伊郡有芸村 |
出身校 | 早稲田大学社会科学部 |
所属政党 | 無所属 |
岩手県岩泉町長 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1999年12月26日[1] - 2017年12月9日 |
伊達 勝身(だて かつみ、1943年〈昭和18年〉8月26日 - )は、岩手県下閉伊郡有芸村(現岩泉町)出身の実業家、政治家。岩泉産業開発・岩泉乳業(現岩泉ホールディングス)各代表取締役会長[2]、元岩泉町長(5期)。
経歴
[編集]1970年(昭和45年)、早稲田大学社会科学部卒業[3]、田野畑村役場に入職。
田野畑村産業開発公社、岩泉町産業開発公社専務理事を経て、1999年(平成11年)岩泉町長に初当選した[3]。2015年(平成27年)、無投票で5選を果たした[3]。
2016年(平成28年)8月に台風10号が岩手県に上陸した際、町としての対応が批判された。8月30日午前9時、伊達は町内全域に避難準備情報を出し、午後2時には町役場の北側の地区に避難勧告を発令したが、東側地区には避難指示や勧告を出さなかった。結果として、東側にあった高齢者グループホームにいた人々が取り残され、入所者9人が死亡した。岩泉町ではこの9人および関連死も含めて23人が死亡し[4][5]、伊達は「残念ながら油断していた。申し訳ない」と謝罪した。
2017年(平成29年)10月中旬、伊達は取材で岩泉町内のホテルに宿泊していた岩手日報社の女性記者を訪ね、記者の部屋のドアを繰り返しノックし、記者がドアを開けると部屋に入って無理やり抱き付き複数回キスをした。記者は精神的ショックで休職を余儀なくされ、岩手日報社が伊達に対し謝罪を求めたところ、伊達は台風10号豪雨への対応で2017年2月に心的外傷後ストレス障害 (PTSD) と診断されたことが原因だと回答した。当日の自身の状況について「顔を洗い髭を剃ろうとしたら突然『助けて』という声がしてきた。前の日に会食した記者が連れて行かれる幻聴に襲われ、ドアをノックして電話したら出てきて『ああ良かった』と思わずハグをした」と説明した[6]。伊達はわいせつ行為に及んだ直後の10月25日、PTSDを理由に盛岡市内の病院に入院し、12月5日に公務復帰した[5]が、12月8日、町議会に9日付の辞職を申し出て、全会一致で承認された[7]。
脚注
[編集]- ^ 地方公共団体の議会の議員及び長の任期満了調 - 岩手県
- ^ 株式会社岩泉産業開発、岩泉乳業株式会社、News Letter - いわて三陸 復興のかけ橋(2015年12月15日Vol1)、発行 かけ橋プロジェクト事務局(⼀般社団法人RCF)。
- ^ a b c 『広報いわいずみ』平成28年1月号、2-3頁。
- ^ “9人死亡の岩手・岩泉町、避難指示出さず 台風10号”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年8月31日) 2018年6月5日閲覧。
- ^ a b “<岩泉町長わいせつ>「『助けて』という幻聴を受けた」辞職を否定、記者は現在も休職”. 河北新報 (河北新報社). (2017年12月7日) 2018年6月5日閲覧。
- ^ “岩手・岩泉町の伊達勝身町長「わいせつ行為」謝罪 病気による幻聴を強調”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2017年12月7日) 2018年6月5日閲覧。
- ^ “わいせつ行為 岩泉町長が引責辞職へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2018年12月8日) 2018年6月5日閲覧。