伊達宗嵩
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和3年(1803年) |
死没 | 文政6年7月2日(1824年7月27日) |
別名 | 靫負、宗嵩 |
主君 | 伊達斉宗→斉義 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達宗隆 |
子 | 養子:義隆(伊達宗賀子) |
伊達 宗嵩(だて むねたか)は、江戸時代後期の武士。陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家9代当主。
生涯
[編集]享和3年(1803年)、岩谷堂伊達家8代当主・伊達宗隆の子として生まれる。仙台藩10代藩主・伊達斉宗の偏諱を受け靫負宗嵩と名乗った(「嵩」の字は、父と同名になるのを避けるため、岩谷堂伊達家(岩城氏)の通字である「隆」の使用を控えたものと考えられる)。
父・宗隆の隠居により、家督と知行5000余石を相続して岩谷堂邑主となるも、文政6年(1824年)7月2日、宗隆に先立って早世した。享年22。
家督は、亘理伊達家11代当主・伊達宗賀の子の義隆が養子となって相続した。
参考文献
[編集]- 『仙台人名大辞書』
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